035: 文武両道の理想を体現(S37 三好郁朗・元京大ラグビー部監督・京都大学名誉教授/インタビュー)

更新日:7月16日

"To The NEXT 100 Yrs" 次の100年へ。

OBから現役世代へ。さらには未来の京大ラガーに向けて幅広く未来を語り、繋ぐ、インタビューコンテンツです。



 師と呼べる人に出逢える人生は、幸せだ。多くの歴代部員にとっては三好郁朗元監督こそ、憧れ、親しみ、そして畏怖を持って仰ぐ存在だろう。現役時代は俊足BKでならし、監督として京大らしい戦術に磨きをかけた。一方でフランス文学者として母校の教授、副総長まで歴任し、部が理想とする「文武両道」を体現した。三好先生にこれまでの歩みを振り返ってもらうと、語るほどに熱を帯びた。



ラグビーの歩み(中学時代)

文の里中学の時の三好選手

 大阪の高松小学校から文の里中学に入学し、ラグビーと出会った。

それまではまったく知ることのないスポーツであった。顧問の星野先生から「ぜひラグビーをおやりなさい」と誘われ、思わず「はい」と従っていた。後から知ったのだが、先生はあらかじめ私の両親に「ラグビー部を勧めます」と断ってくださったらしい。

 先生ご自身は選手経験がなかったようで、指導は隣接する天王寺高校の先輩たちが引き受けてくれていた。最初はFWだったが、走れるということでBKに転向した。中学時代はけっこう知られた選手で、記念試合に選ばれたりもした。








ラグビーの歩み(高校時代〜大学)

北野高校時代

 星野先生から「ラグビーだけでなく、学業の道も目指しなさい」と勧められ、北野高校から京都大学へ進む。私にとって先生は、人生そのものの恩師と言える。北野では中島先生、野々村先生にお世話をかけた。

 京都大学でもラグビーから離れられず、入学式の前からグラウンドに顔を出していたが、大学でのラグビー歴は他人に誇れるものでなく、お世話をかけた岩前先輩や星名先生にとっては、不祥の弟子であったろう。それでも、ラグビーとフランス語の双方を学ぶという、貴重な時間を体験させて頂けた。大学院でも、毎日のように、当時の農学部グラウンドへ通っていた。






京大ラグビー部時代

1967年から京都産業大学、大阪市立大学に勤務、その間はさすがにラグビーと離れていたが、京都大学に勤めることになった1981年、その頃現役の世話をしていた2年後輩の福田恒さんから手伝うように誘われ、グラウンドに顔を出すことになった。その間、1980年から82年までと、89年から92年までの2度、監督を務めている。


▼三好郁朗元監督の「ラグビーの歩み〜京大監督就任/勝利への執念」動画(約11分)




フランス流オープン・ラグビー

 自分では、英国流の、オーソドックスなオープン・ラグビーを理想としてきたと思っている。FWはしっかりボールを確保し、BKはできるだけ遠いところにボールを運んでポイントをつくり、そこから勝負に出たい。それが、北野や京大のように、体格勝負では強力校にたちうちできないチームの戦法と、信じてきた。


 フランス留学中は毎週のように試合を見に出かけた。当時のフランス・ラグビーはFWとBKのバランスが取れた攻撃を特徴にしていた。ボールをFWで縦に運ぶだけでなく、素早く横にも展開してポイントを離す。どこでポイントをつくるかを大切にするラグビー。走るだけでもだめ、ぶつかるだけでもだめ、いろいろなラグビーの可能性に触れ、ラグビーが一層好きになったのが、フランスでの経験だったと思う。


監督時代に取り入れたスクラムの組み方(外パック)や、ラインアウトのリフティング(当時のルールでは反則すれすれ)など、どれもみなフランスで実際に見聞きし、なぜそうするのかを学んだものだった。

どこからボールが出るか、どこから切り込んでくるかわからない、それがフランス・ラグビーと言われていた。もちろん、それをそのまま京大で取り入れるのはかなわない。それでも、ボールを外に展開しながら少しでも前に出ようとすること、柔軟でバランスの取れた「型にとらわれないのを型とする」ことは、たしかにフランス・ラグビーを手本としたのかもしれない。



1989年、三好監督が作成したコーチング資料(一部)



 ラグビーは15人という、もっとも人数の多いチーム・スポーツである。そのすべてのメンバーが、ただ一つのボールに全力を集中できなければならない。だからこそ、一人ひとりでは敵いそうもない相手にも、勝負の可能性が生まれてくる。それこそがアマチュア・スポーツの、とりわけ学生スポーツの眼目でないか。



▼三好郁朗元監督の「フランス流オープンラグビー」動画(約11分)



ラグビー好きの仲間を育む

 京都大学まで来て、なぜラグビーをやるのか。楽しくて仕方ないからに違いない。私が現役の時代は、同志社や慶応とは、正直、近年以上に大きな力の差があったように思う。それでも、京大は他大学のやらないラグビーをやると評価されたい、そういう思いは強かった。もちろん、我が邦のラグビーの歴史を築き上げた先輩たちに恥ずかしくないラグビーを、という願いは、近年以上に強かっただろう。

その後、私などがお世話することになった後輩たちのなかから、ラグビーが好きでたまらない仲間が数多く出てくれているとしたら、こんなに嬉しいことはない。



 子供が楽しむラグビーから超一流のラグビーまで、いろんなラグビーがあってよい。さまざまなレベルのラグビーがあってよいのだ。そうした環境でこそ、さまざまな工夫や創意も生まれでくる。どのようなレベルであっても、どこまでやれているか、ベストを尽くせているかが問題なのだ。指導者としての私など、超一流の選手やチームを育てることはできなかった。しかし、それなりのレベルで望める限りのチームを創ろうとしてきた。そのことを評価されたからこそ、2度にわたって監督を任せていただけたのだろうと、ひそかに自負している。


 京大は、リーグ戦だけでなく定期戦をもっている。定期戦の歴史があるからこそ、京大で学生ラグビーの真髄を味わうことができるのだ。ラグビーの理想は、毎年同じ季節に同じ相手と戦い、対抗心を燃やすとともに再会を楽しむことにある。それこそ、学生スポーツが教育的目標とするものに他ならない。

 リーグ制が導入される以前の学生ラグビーは、定期戦が中心だった。強豪校と試合して負けても、それはそれなりに楽しかった。たとえ負けても何かが後に残った。なんとかしてもう少し強くなり、伝統に恥じないゲームがしたい、そういう気にしなった。それこそが学生スポーツのあるべき姿だと、私はそう思っている。


立派なラグビーポールが立っている2面のグラウンド。かつては想像できなかった姿である。大学が認めてくれ、OBが応援してくれ、社会も温かく見守ってくれている。私たちがこれまでやってきたラグビーが間違ってはいなかったこと、立派な証でないだろうか。

現役諸君も、京都大学ラグビー部の100年の歴史、その一部に関わったことを誇りにしていい。それをぜひ、次の100年につないでいってほしい。


▼三好郁朗元監督の「なぜ京大でラグビーをやるのか」動画(約9分)




(2021年4月18日収録)

取材:奥村健一(H2/LO、読売新聞)、麻植渉(H2/SO、みどり会)、山口泰典(H4/No.8、読売新聞)、但馬晋二(H24/FL、読売テレビ)



▼三好郁朗さんのプロフィール

1939年生まれ。1980~82年と89~92年の2度にわたり京大ラグビー部監督。京都大学名誉教授(フランス文学)。京大文学部卒、64年にフランス政府給費留学生(パリ大学)。京都大学総合人間学部長、副学長、京都嵯峨芸術大学学長を歴任。フランス政府教育功労賞受賞。2015年秋に瑞宝中綬章を受章。


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