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060: タックルの東大・展開の京大(東大S52 山田 健司 東大ラグビー部OB会長・東大S62 青山 和浩 東大ラグビー部部長・監督/特別インタビュー2)

 東大ラグビー部を創設した香山蕃は、1925年(大正14年)春から翌年夏ごろまで英国に留学し、帰国後、日本ラグビー協会の理事に就任した。香山が学んだのは、ボールを生かす本場の展開ラグビーである。ところが、当時の東大の主将で三高の後輩でもあった清瀬三郎(後の日本協会理事長)が目指したのは、ハードタックルとストレートダッシュを中心とするFW主体のラグビーだった。

 清瀬と意見が合わなかった香山に目をつけたのは、京大の主将、望月信次である。京大ラグビー部の創設者で香山の盟友、谷村敬介に口利きを頼んで香山をコーチに招いた。兄弟チームでありながら対照的な両校のチームカラーの伝統は、ここから始まっている。



▼山田 健司 東大ラグビー部OB会長と青山和浩部長・監督の「タックルの東大、展開の京大」動画2はこちら(約12分)


――両校のカラーの違いをどう感じているか



山田健司OB会長(以下「山田」敬称略)「京大は関西中心の文武両道の高校から入って来る。東大は全国から来るし、私立の進学校からも来る。未経験で始める比率も3割から5割くらいあった。そういう人たちがいかに戦うかを考えたときに、華麗なバックスプレーを志向することはたぶんなかった。結果として東大はFW中心で、京大はBKの展開プレーだというイメージになっているのでは。強豪チームと試合するときには、タックルがある程度通用しなければゲームにならないので、タックルに重きを置いていたのは事実だ」


青山和浩部長・監督(以下「青山」敬称略)「学生の時、初めて京大戦を経験して、球回しとかランニングスピードとかが速くて、関西はすごいなと思った。東大は関東近辺のところから集まってくるということもあるので、FW中心でチームをつくるということがあるのかなと思う。納会のときにすべてのOBに『タックルの東大はどうしたんだ』とか、4年間ずっと言い続けられていた」



――「タックルの京大」は聞いたことがない。全然カラーが違う。「もっとスマートに点を取れ。頭を使え」と言われてきた。東大はサインプレーも少ないようだが


 山田「僕のころは、2つか3つの裏表ぐらい」

 青山「いまもそんなにない。いわゆるオーソドックスなサインプレーだ」



――松尾雄治さん(明治→新日鉄釜石)は「東大のタックルは痛い。もう点差がついているんだからあきらめてくれ、と思っていた」と話していた


 

青山「みなさん、そう言う。東大のタックルはいやだったな、と。そういう話をOBになって聞くと、みんな幸せを感じる。学生時代には「東大のタックルをしろ」と言われて「なんなんだ」と思ってやっている。卒業すると明治、早稲田、慶応のOBに『東大のタックルはすごかったな』と言われると気持ちよくなって、また学生に『東大はタックルだ』と言う。そういう循環がたぶんあるのかな」



――現役時代の京大戦について


同期生。左から、日月、大隅、山田、吉永、法元(敬称略)

山田「覚えているのは最後の場面だけだが、東大側がドロップアウトを蹴ることになって、私が蹴ったらダイレクトで出た。京大ボールの中央スクラムで、SOの吉川(清史彦)さんが左にいて、球が出た。その瞬間に彼は右サイドに走り出す。東大が左に動いたところで、FBの水田さんが逆側に入ってきた。吉川さんが右に走りながらリバースパスで水田さんに投げて、トライをされ逆転された。水田さん、記憶は?」


水田和彦KIUR.F.C会長(以下「水田(敬称略)」「それはよく使っていたサインプレーだ。当初、ほかはあまりやっていなかった」

山田「東大側は度肝を抜かれた。もう一つ、東大戦ではないが1974年の大学選手権の1回戦、国立競技場での明治との試合を見に行った。ほぼ中央ラインから水田さんがインステップでペナルティゴールを蹴って入った」


水田「それは違う。私はトゥキックに固執していた」

山田「じゃあ、記憶違い。とにかくハーフライン近くから入れた。先取点は京大がとった。国立競技場でやったということと、先取点をとったということにびっくりした。京大はずっと強いという思いはあった。大学選手権に出るチームとわれわれは戦っているんだ、という意識はあった」


昭和51年(1976年) 対京大定期戦での山田選手の突進(駒場グラウンド)

昭和51年(1976年)10月10日 早稲田戦。日月選手(13番)から山田選手(12番)へのパス(東伏見グラウンド)

昭和51年(1976年)10月10日 早稲田戦の新聞記事。(10月11日付サンケイスポーツ)


――青山監督の京大戦の思い出は


青山「鮮明に覚えているのは4年生の時の最終戦の京大戦だ。駒場のグラウンドで、非常に天気が良くて、いまでもあの青空を覚えている。13-7で勝っていて、最後の最後にトライを取られて13-11になった。ゴールキックがポストに当たって終わった。それが入っていれば同点だった。それ以上に、やっていて気持ちがよく楽しかった。試合後のファンクションで僕がした挨拶を覚えている。このラグビーの楽しい時間が終わらないでほしいと思いながらやりました、と話した。その思いを学生にもうまく伝えられたらいいな、と思いながら毎年京大戦に臨んでいる」

1986年9月27日の東大対明治大戦(秩父宮)。向かって左側が東大。青山選手は三番で出場。

1986年9月27日の東大対明治大戦(秩父宮)。右上三人目、ポイントに向かう青山選手。

1986年9月27日の東大対明治大戦(秩父宮)の新聞記事。

真田正明(1980年卒)

2021年11月1日ZOOMにて収録

取材:水田和彦(S50/FB)/夏山真也(S54/No.8)/白石良多(S54/WTB)/真田正明(S55/PR)/西尾仁志(H2/CTB)


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本年の第99回定期戦は、東京大学ラグビー部創部100周年記念試合として、秩父宮ラグビー場で開催されます。 【日時】12/19(日) A戦 12:00K.O.、B戦 14:15K.O.、C戦 10:15K.O. 【場所】秩父宮ラグビー場



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