京都大学ラグビー部からは卒業生2名がOxford大学に留学している。単位取得のための厳しい学業のかたわら、それぞれのCollegeのラグビー部に入部し、世界各国から集まったラガーマンたちと交流を深めた。22年現在Oxfordに在学中のH29大藤氏の留学レポートを前回に続いてお届けする。
オックスフォード大学ラグビー部
外務省に入り英国留学が決定して以来、母校京大ラグビー部ともつながりのあるオックスフォード大学でラグビーをプレーすることはずっと夢でした。合格通知のメールをもらった時も一人でガッツポーズをして喜んだのを覚えています。オックスフォードではラグビーのみならずその部活で一軍に選ばれた人たちのことをその濃紺ユニフォームにちなんで「ブルー」といいます(※)。このブルーに自分も選ばれて京大と同じ濃紺ジャージに袖を通すんだと、入学直後意気揚々とその扉をたたきました。しかし、現実は残酷です。
初回の練習はまずはタッチフット。すると隣に巨大なポリネシア系のフォワード選手がいます。
「やあ、君はどこ出身なの」
「僕はフィジー、君は?」
「僕は日本だよ」
「日本?(すると日本語で)ぼく、サンウルブズにいた」
「え?」
「ユウ(田村)とショウタ(堀江)と友達。」
「えっ、プロなの?」
「うん、昔はフィジー代表だったけど今はアメリカ代表。」
ちなみにこの選手→
(だめだ、話にならん。違う話し相手を探そう)
すると別のところに、背が高いが優しそうな顔のこれまたフォワード選手がいます。
「ハーイ、僕は日本から来たんだ、君はどこ出身?」
「僕はアメリカ出身だよ」
「どこのチームでやってたの」
「僕はアメリカ代表だよ。ワールドカップには4回出たけど2019年の日本W杯は最高の体験だったね!」
こうして入部5分でレギュラー獲得への思いをほぼ粉砕された私でしたが、ここで諦めるわけにはいきません。体力測定をやり、ラグビーの経歴についてアンケートを書かされます。「いつからラグビーをしているか」という質問に、経験年数だけは五郎丸歩バリの私は「幼稚園以来」とどや顔で書き、続いてポジションの欄では「ずっとフランカーだけど、まあフッカーも数回やったことあるし一応書いておくか」と悩みつつ「Fl, Ho」と提出。その後、試合についてメンバー発表のメールが来たところ、Yuta Ofujiの左に燦然と輝く「2」。こうして私は26歳、ラグビーを始めて20年目にして、バックローからフロントローへ華麗な転身を遂げました。その後、ひどいスローイング、スクラムで度々試合を崩壊させたことは言うまでもありません。
ラグビー部のスケジュールとしては全体筋トレが月曜、1軍, 2軍ごとの練習が火曜、木曜にあって毎週水曜日か土曜日に試合と飲み会があるという感じで、京大でラグビーをやっていた時よりスケジュールは緩かったですが、とにかく自分を含めチームメートもみな学業が忙しく、両立するのはかなり大変でした。特に自分はフッカーに転向したばかりでスローイングやスクラムなどを勉強する必要があったので、チームメートのフッカーを誘って、居残り練習で付き合ってもらったりしていました。
それでも一軍や二軍で試合に出ることは中々難しく、三軍でよく試合に出させてもらいましたが、その中でもよく覚えているのがキャプテンを任命された試合です。吐きそうになるくらい緊張したのを覚えています。まずは総勢20人以上のプレーヤーを集めて、アップを指揮しなければなりません。「腿上げって英語でなんて言うねん」と思いながら、なんやかんやでアップを終えたら、円陣を組んで声を出し、試合に入ったらレフェリーとコミュニケーションをとりながら、フォワードやバックスを束ねます。特に、フッカーはスクラム、ラインアウトともに、リーダーシップをとらなければならないポジションです。その日は、大事な局面でのスローミスやスクラムでのターンオーバーなど、自分のミスでセットプレーが精彩を欠き、ラスト5分で逆転負け。キャプテンとしてもプレーヤーとしても不甲斐なく、とても悔しかったですが、仲間がみな「いいプレーだったよ」、「ラインアウトはアンラッキーだったね」と優しく声をかけてくれたことが励みになりました。その後も、同じ仲間ともに毎週練習し、ラインアウト、スクラムを合わせ、夜はチームビルディングで一緒に飯を食う、そうしてチーム力を上げていきました。迎えた最終節、2番で出場し、最終的に7-6という接戦を制した時のチームメートとの歓喜は何物にも代えがたいものでした。
※)一軍、二軍、三軍各チーム名は以下の通り:the Blues, Greyhounds (2nd XV), Whippets (3rd XV)
バーシティマッチ
オックスフォード大学ラグビー部最大のイベントと言えば、やはりケンブリッジ大学とのバーシティマッチです。両大学はお互いに「The other place」と呼び合う最大のライバルであり、特にラグビーバーシティマッチは150年以上の歴史ある伝統的な定期戦です(ちなみに、京大の濃青、東大の淡青は各々オックスフォード、ケンブリッジをモチーフにしたもの。強いライバル心も含めてどことなく似た関係です。)。会場は2015年イングランドW杯の決勝でも使われたラグビーの聖地「トゥイッケナム」であり、テレビ中継もされるという注目度ぶりです。私はというと、自分も出てみたかったなあと思いつつ、メンバー外のチームメートとビールを片手に観戦しました。試合中、両サイドがお互いをけなし合う大合唱を行うのもバーシティマッチの名物です。結果はオックスフォードの完勝!すべてはこのためにと準備してきたチームメートたちと大喜びしました。
カレッジ
大学全体のチームだけでなく、各カレッジにもラグビーチームがあり、私は両方に所属していました。大学のチームでやるほどではないが、ラグビーはしたいという人達で構成された、いわばラグビーサークルといったところでしょうか。私が所属していたオリエルカレッジのラグビーチームは、練習が週に1回、試合が週に1回というゆるい感じで、初心者が転んでも永遠にボールを離さなかったり、アメフト出身者が対戦相手の首にラリアットを食らわせたりと、決してレベルの高いラグビーではありませんでしたが、和気あいあいとしたアットホームな雰囲気が私は大好きでした。スクラムで押し勝ってペナルティをとった時、チームメートからの投票でMOMに選んでもらえた時、トーナメントの決勝で惜敗するも、最後まで一緒に走りぬいた時、全てが素敵な思い出です。
ロンドンジャパニーズ
ラグビーという点では、もう一つロンドンジャパニーズという在英邦人によるチームにも参加していました。創部40年を超える歴史あるラグビークラブであり、週に1回の練習や試合、そしてもちろんその後の交流会を通した駐在員との方との交流は、本当に楽しかったです。ロンドンジャパニーズという名前ではありますが、過半数がローカルのイギリス人であり、コミュニケーションも英語で行われます。「エンジンクンデ!」「イチ、ニ!」「ゼンリョク!」とローカルの方が叫びながら練習に取り組んでいる姿はとても素敵で、ロンドンからオックスフォードに引っ越した後もよく参加させていただきました。
奥記念杯
こんなラグビー三昧の留学生活だったわけですが、中でも奥記念杯にオックスフォード大学のキャプテンとして参加できたことは一生に残る最高の思い出です。奥カップとは、外務省員としてオックスフォード留学時に日本人で初めてのブルーに選ばれ、その後は日本外交とラグビーの普及をけん引しながらも、2003年イラク日本人外交官射殺事件で銃撃を受け殉職された故奥大使を偲んで、毎年ロンドンジャパニーズとオックスフォード大学ラグビー部との間で行われるイベントです。個人的に当然外務省を目指して以来ずっと意識してきた方ですが、ラガーマン、そして外交官として尊敬する先輩が走っていたグラウンドに立ち、オックスフォード大学のキャプテンとしてこのカップに出場させてもらえたことを心より栄誉に思いました。試合後のアフターマッチファンクションでは、僭越ながらこのカップに対する自分の思いについてスピーチをさせていただく機会もいただけました。
スピーチ
最後に
オックスフォード大学での留学は初めてのことばかりで、チャレンジに続くチャレンジでした。初めて学ぶ経営学、英語での議論、新しいポジション、キャプテンへの挑戦。自分の経験したことないことや苦手なことに挑戦するのは、誰にとってもいくつになっても勇気がいることです。ですが、試しに一歩踏み出してみると、自分の大きな成長につながるということも実感できた留学でした。京大ラグビー部での挫折や挑戦がそういったチャレンジ精神を育ててくれたと思っています。今後の京都大学とオックスフォード大学両ラグビー部の益々の発展を心より祈っております。
H29年卒 大藤 勇太
※「RUGBY REPUBLIC」2022年1月17日掲載の記事、「日本と英国の、ラグビーと桜を通じた友情」もあわせてご覧ください。
トピックス/京大ラグビー部創部百周年記念 シンポジウム開催及びウェビナーのご案内
来る2022年7月10日(日)13時より、創部百周年を記念してシンポジウムを開催いたします。無料のウェビナーをご用意しておりますので、ぜひご参加ください。
〜シンポジウムテーマ〜
「学生スポーツとしてのラグビーが目指すべき将来像」
日時:2022年7月10日(日)13:00〜 場所:京都大学時計台記念ホール 無料ウェビナー同時開催
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