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092: 創部100周年記念式典の開催(詳報)

更新日:2022年8月1日

 シンポジウムに続いて記念式典が開かれ、参加者は100年の伝統と歴史を振り返るとともに、今後のクラブの強化・発展に思いを強くした。



 式典の冒頭、水田和彦・京都大学ラグビーフットボールクラブ会長は「この日を迎えられたことに感謝したい。学生がシンポジウムの議論を踏まえ、新たな歴史を積み重ねていくことを期待する。コロナの第7波で懇親会を急遽中止したことに理解いただければ。オンラインでも視聴いただいている。われわれのラグビー精神は旧制三高に源を発する。社会にどのような貢献ができるのか考えながら次の100年に向けて進んでいきたい」とあいさつした。



続いて来賓の方々から祝辞を頂戴した。


(森重隆・日本ラグビー協会名誉会長)

7月1日付で会長を辞した。京都大学の前身である旧制三高を含めると慶應に次いで日本で2番目に古いクラブと聞いている。京大は3度、全国制覇している。3度目はまさかだが、私の母校の明治大学に勝って達成した。京大は学生が主体で、キャプテンがチームを引っ張る伝統だという。それを続けて行ってほしい。

新日鉄釜石で私が監督をした時、京大OBの市口順亮さんが副部長だった。よく相談に行くと、「まあ飲め」「とりあえず何とかなる」と言われた。コミュニケーションが今はどのチームにも足りないと認識しているが、今思えば、当時はコミュニケーションが濃密だった。市口さんは選手たちを東北の片田舎から拾ってきて釜石のチームの文化を築いてくれた。市口さんはそんな悪い人じゃないです。京大の益々の発展をお祈りします。


▼来賓祝辞/森 重隆・日本ラグビーフットボール協会名誉会長


(坂田好弘・関西ラグビー協会前会長)

下鴨神社にある「第一蹴の地」顕彰会の会長を務めている。ワールドカップの日本開催が決まった時、抽選会を日本、それも京都でやってほしいと考えた。下鴨神社から日本のラグビーが発展したので抽選会の前に来てもらいたかった。実現して、各国の代表が石碑の前で蹴鞠をした。

選手として洛北高校、同志社大学、近鉄と伝統のあるチームでプレーした。近鉄で10年間、最後の試合となった日本選手権のあと、ジャージーを脱いだ時に初めて「なんてジャージーは重いんだ」と感じた。勇気、誇り、責任を知らないうちに背負っていた。京都大学のジャージーは100年の重みがある。袖を通した人、応援してくれる人の思いが詰まっている。ジャージーを着る責任を後世に伝えることも大事だ。それを考えれば道が開けると思う。

「Rugby Opens Many Doors」という言葉が好きだ。オックスフォード大との交流はすばらしい。ラグビーを通じて多くのことを経験してほしい。


▼来賓祝辞/坂田 好弘・世界遺産 下鴨神社 ラグビー第一蹴の地顕彰会 会長・関西ラグビーフットボール協会 前会長


(渡邊将太主将からの挨拶)

第100代主将。現役部員の思いを代表して話したい。本年度、Aリーグ昇格を目標にしている。高くて厳しい目標だ。

入学時にアメフトかラグビーかで悩んだ。アメフトは日本一を掲げているのに惹かれた。ある時、ラグビーの練習に参加して、「おれが入ったら強くできる」と思い、情熱が沸いた。それが原点だ。

主将になる時、同期で話し合い、立候補した。責任を伴うリーダーはやりたくないキャラだった。埼玉県立浦和高3年の時、花園に行きたかったが、チームとして本気で目指す感じではなかった。準決勝で負けた時に「やっぱり」と思った。人生で一番後悔している。どうして「本気で目指そう」と言い出せなかったのか。大学でキャプテンに立候補したのは、二度と同じ悔いをしたくなかったから。

キャプテンになってから、視野が広がった。部員、監督団、OBと話す機会が増えた。気づいたのは、自分たちだけでやっているのではない。監督、OB、身近な先輩からすごく支援してもらっている。自分ひとりのAリーグ昇格ではない。下級生の時は、自分が活躍してAリーグに行きたいと思った。今は、100年目に与えられた役割を果たしたい。強い思いで目指せる。

1回生のころ、辞めようかなと1か月ぐらい休んだ時期もあった。3つ上の先輩の追い出しコンパのあと、当時のキャプテンと2人でラーメンを食べに行った。「おれたちはAリーグを目指さないといけないんだ」と言われた。脈々と受け継がれている熱い思いを後輩たちが受け継いでくれたら、今後100年、さらなる高みを目指していけると思う。


▼京都大学ラグビー部主将挨拶:渡邊 将太



100周年を機に、京大ラグビー部部歌も新たに収録(協力:京大合唱団)。来場したOB・OG全員で部歌「真澄の空」を斉唱した。


▼京大ラグビー部部歌「真澄の空」

▼京大ラグビー部部歌「Club Song」

▼京大ラグビー部部歌「若人の歌」



 シンポジウム・式典には現役部員やOB、OGのほか、定期戦・リーグ戦の相手校、ラグビー協会関係者ら約300人が参加。オンラインでも配信し、約210人が視聴した。





当日はウェビナーでもシンポジウム・式典の様子を公開




京大ラグビー部創部100周年記念シンポジウム/式典

ご意見・ご感想大募集!

こちらの応募フォームよりお寄せください。


この度は 貴重な時間を割いて〈シンポジウム / 式典〉にご参加・ご視聴くださり、大変ありがとうございました。

ご参加、ご視聴くださった感想は、如何だったでしょうか?

特に心に残った場面や言葉などはございましたでしょうか?

また、これからの京大ラグビー部・クラブに対して、どの様な期待感を持っていただけたでしょうか?

当クラブ が100周年イベントにて一つの節目を経て新たな一歩を踏み出すに当り、今後の参考にさせていただきたく、ぜひ、みなさまのご感想をお寄せください。




▼ご登壇者プロフィール


森 重隆氏(日本ラグビーフットボール協会名誉会長)

1951年、福岡県生まれ。福岡高校でラグビーを始め、明治大学を経て1974年に新日鉄釜石に入社。主将、選手兼監督として日本選手権を4度優勝した。1974年から日本代表でもプレー。27キャップを獲得し、主将も務めた。1982年に現役引退。91年に実家の森硝子店の社長に就いた後、福岡高校ラグビー部の監督も務め、全国大会に導いた。2015年に九州ラグビー協会会長に就任。2019年、日本ラグビー協会会長。現在日本ラグビーフットボール協会名誉会長。


坂田 好弘氏(世界遺産 下鴨神社 ラグビー第一蹴の地顕彰会 会長・関西ラグビーフットボール協会 前会長)

1942年生まれ。洛北高校では3年連続で全国大会に出場。同志社大1、3回生で全国制覇。1965年に近鉄入社。同大在学中に日本代表に選出され、16キャップ。68年の日本代表NZ遠征でオールブラックス・ジュニアを破った試合で4トライ。69年のNZ留学ではカンタベリー州代表、学生選抜などに選ばれる。大阪体育大学ラグビー部監督を辞任後、関西ラグビー協会会長、日本ラグビー協会副会長を務めた。国際ラグビーボードは2012年、1960年代の世界で最も優れた選手の1人で、今日に至るまで日本で最高の選手として、日本人として初めてラグビーの殿堂入りを決めた。

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