028: 京大の伝統「自主性」に期待〜コンタクト力と勝てる実感を(東大S54 小田 伸午・元京大ラグビー部監督/特別インタビュー3)

最終更新: 5月28日

"To The NEXT 100 Yrs" 次の100年へ。

《特別インタビュー》


小田さんは、選手、指導者、研究者として、アスリートの心と身体の関係を長年探求してきた。最終回ではその半生を聞いた。そして、京大ラグビー部が創部100周年を機に飛躍するために、心と身体をいかに鍛えるべきなのか。現役へのエールを込めて語ってもらった。



――小田さんとスポーツとの最初の出会いは

ゴムまりでやる野球ですね。小学生の時、近所の子供たちと。そこで社会性も磨かれた。小学校低学年は杉並区の阿佐ヶ谷、それから神奈川県の座間。生まれは名古屋で。親父があちこちで医者をしていたもんですから。

ラグビーなんて知らなかったですよ。それから中学・高校と陸上競技の三段跳びをやりました。最初はどの競技で勝負したらいいのか見つからなかった。走るのもそんなに速くないし、砲丸を投げても飛ばないし。「いろいろやってみろ」って顧問の先生から言われて。ある日、三段跳びっていうのがあるって知って、(中学)2年生の秋の終わりの記録会に出たんです。そしたら、すごい記録が出て、12メートル少し飛んだんですね。こんな時期に12メートル飛べる奴はおらんぞって。次の年には神奈川で2番になった。それで、はまりましたね。その時にやったトレーニングや勉強が、のちのち、ラグビーのトレーニング方法にも活きてきた。若い時に自分の熱意でやったことが、身につくというのはありますねかか。


――当時から理論派のアスリートだったんですね

理論は感覚で表現していました。理論にするというのは結局、言葉にするということで。ダンダンダンではなくて、トントントンだと。オノマトペっていいますよね。そういうのにも興味を持つようになった。全員の(練習)メニューを組んでました。メニューを考えて組むのが大好きでしたね。でも、高校時代に(記録が)伸びなくなった。助走スピード遅いんですよ。飛ぶ工夫はいろいろしたんですけどね。三段跳びが三段で入らず、四段になっちゃうんですよ(笑)。それで三段跳びをやめたくなった。

2年間、浪人しているうちに友達が(ラグビーの)早明戦、早慶戦に誘ってくれて。これはおもしろいなぁって。14番のウイング、あれやってみたいって。うかつでした(笑)


――それで東大ラグビー部に入部

そしたら、「お前、1番やれ」って言われて。監督が「一番いいやつが1番からやるんだ」って。東大ラグビー部はそういう悪いことをするんです。

最初、陸上部の練習を見に行ったら、やっていなかったんです。隣で声が聞こえて、なんだろうと思って覗いていると、マネージャーが「きみ、ラグビーに興味あるのか」って。「いまからジャージもスパイクも全部貸してあげるから着替えといでよ」って、一軍のジャージを着させてもらって、拍手をもらってね。「今日、入部の小田君です」って。入部してないのに(笑)。翌日から上級生に交じって新人勧誘してました。

おもしろかったね。足もぐんぐん速くなって。一年生で一番速くなったんだから。


――でも、背番号は「1」

そうなんですよね。でも悪い気はしなくて。案外、面白くてね。足腰も強かったのか、スクラムを押すっていうのが、おもしろくて。自分で考えてやるでしょ。決まり事もなくってね。次はウイングの外で待っててやろうとかね。一年生のときからそんな悪いことばかりやっていましたから。


――卒業後は

高校の先生になりたくてね。山中湖の合宿でけがをしてたんだけど、神奈川県の教職採用試験を受けに行ったんです。足を引きずってたら、「きみ、それどうしたんだい」って。やれる種目だけでもやらしてくださいってお願いしたけど、「一種目でも欠場したら、もうだめだから、帰った方がいいよ」って言われて。もう少し違う言い方があるだろうって。もう「タリラ~」って感じになった(笑)。それで大学院の試験を受けて、大学に残ることにしました。そしたらラグビーのコーチになっちゃった。


――日本代表のコーチも務められました

「トレーニングコーチしてくれ」って言われて。驚きましたね。直接、日比野監督から電話を頂いて。「きみのスクラムの強さは定評があるから」と持ち上げられて「どんなトレーニングをやっていたのか」と。「一年半後に遠征するウエールズ戦に向けて、きみがメニューを組んで、一人一人を指導してやってくれないか。(その場の)寄せ集めではなく、強化をして遠征をしたいんだ」って。「ポイントはパワーだ。あと1.2倍のパワーをつければ、FWはボールは取れる。ボールが取れれば、日本のバックスは世界に負けない」と。


1983年、ヒースロー空港でウエールズ協会の出迎えを受け、握手する日本代表の金野滋団長と遠征メンバー。この後バスでウエールズに向かった

――24対29で惜敗しましたが、ジャパンの名を世界に知らしめました

今もユーチューブに動画がアップされていますが、宿沢さんが解説で。私もカバンを持って(動画に)出てくるよ、けが人が出たときに。1983年ですね。日比野ジャパンの時の思いが、私を突き動かしました。スポーツ界・ラグビー界で生きていきたいと。


テストマッチ当夜の乾杯(左から平尾誠二選手、小田伸午コーチ、瀬下和夫選手、東田哲也選手、大八木淳史選手、林敏之選手)

遠征の合間、ひと時の観光(左から日比野弘監督、小田伸午コーチ、林敏之選手、洞口孝治選手)

――1984年に京大に赴任されました。ラグビー部の指導に関わられる経緯は

学士ラガーのオーストラリア遠征の時、東大と京大が半々ぐらいで、ほとんどのメンバーを占めていた。そこに夏山さん、清さん…、石田さんが1番で、僕が3番です。夏山がエイトでね。面白いメンバーでしたよ。その機会を通して京大とのコミュニケーションが取れていた中で、私が京大に赴任するということが、OB会に伝わったんでしょうね。それで、最初はコーチ、3年目からは監督になりました。


――京大は今、溝口監督のもとAリーグ復帰を目指しています

見ると、すごい強いじゃないですか。周り(のチーム)も強いということだけど・・・。フォワードなんかスクラムが強いよな。君らの頃よりスクラムは強い。ダブルショルダーはやってないけど、ダブルショルダーやらんでも強い。30年前に比べたら2人力のパワー持っている。


――Aリーグの壁は厚い

一時期Aリーグにいた龍谷とかがBに定着しているんだから、Aリーグの壁というより、まずここを破らないと。

関大はBにいるときに、龍谷大などのB上位のチームとやると70、80点差つけて勝つんですけどね。学生に聞いてみたり、ビデオを取り寄せて観たりすると、コンタクトの接点の力の差。上手いかどうかとか、点を取る工夫をしているかとか、そういうところで多少の点の開きは出ますけど、要因はやっぱり接点、コンタクトだね。押し合い、当たり合い。この力は、体重、筋力の問題も大きいけど、それだけでなく、当たった時の体の使い方がうまいかどうかっていうことはありますよね。小さい天理大がその問題を乗り越えて日本一になりましたよね。


――コンタクトの力をつける秘訣は

(天理大監督の)小松さんと以前話したときに、コンタクトの力がじわりじわりと上がって、Aリーグに定着する地力がついてきましたね、何をやったんですか、ウエイトで筋肉をつけただけではないでしょと、僕が突っ込んだら、「そうなんですよ。相撲ですわ。相撲のぶつかり合いのようなことをたくさんやりました」と。


人に当たる強さと、機械(すなわち)マシーンやフリーウエイト、を持ち上げる強さは神経制御学上も違います。(機械を持ち上げるときは)重心の位置がどこにあるのかすぐわかる。人間だったら挙げるだけでなく、他方で重心位置を感じて、バランスをとらなくてはいけない。スクラムを押すっていうのもそういうことで、右のプロップが出たなと思ったら、左のプロップはどうするかを考えなければならない。頭のワークですよね。それを瞬間的にやらなくてはいけない。そのためには「倒れたら負けの相撲のようなトレーニングするのが一番いい」と(小松監督は)言っていましたね。


日本のラガーマンは相撲を取り入れると、日本人なりの体ができると思うんです。ジョージアにはジョージアの相撲のようなものがあり、トンガにも身体文化があるでしょ。そういう体の使い方っていうのは、その国の文化の中にある。文化を取り入れた練習が無意識の体を作る。そして無意識の勝負勘まで鍛えられる。それを引き出す練習が大事ですよね。今、最先端の世界のコーチングが無意識の方法に向かっているというのは、そういうことだと思いますね。ウエイトトレーニングだけという時代はとっくに終わっているんですね。ウエイトトレーニングもやる、だけどその後、必ず相撲の押し合いをやったりね。オールブラックスも部分的なウエイトトレーニングで終わらず、(別の)全身を使ったトレーニングを加えますよね。京大の選手たちは体が大きくなったけど、ラグビーとのバランスがどうなのかなぁというところがある。


京大の先輩から言われていたことをいま思い出しましたけど、ウエイトで身体に肉をマッチョにつけると、ボールが出ているのにまだ、ねじり合いをやりたくなる。三好先生もよくそうおっしゃったんだ。格闘技であっても、京大のタイプのラグビーはパーンと当たったら反動でパーンと跳ね返るような、ボクシングのようなコンタクトの力をつけるようにと。「ちょっとねじり合いすぎだぞ」という話はよくされましたね。数値に現れる身体とその能力を上回る、京大ラグビーの身体文化の継承と創造が必要だと思うんです。


――京大が飛躍するためには

自分たちが、「ここは勝っているな」というところからラグビーを構築する。今上位にいる私学基準でものを見るから、最初から戦わずして負けてるんだよね。気分でも負けている。

前半1点でもリードして終わるラグビーをしようという目標段階をまず作る。前半だけなら勝てるぞと、たとえ後半30点取られてもね。そういうふうなポジティブなやり方をしていくのが京大流。昔はそういうことを考える人がいたんだよね。同志社とやる前に一発目に、「今日はインターセプトで行こうや」って言う選手がね。勝てる実感が自分らの心にあったんですよ。


(他の大学は)京大を見て「京大に負けたら、俺ら勉強で負けてラグビーで負けて、何の取柄もないなぁ」って、すごく恐れてるんですよ。なにで勝てるかというところを考えたらいいと思うんです。勝てるところを磨いて膨らませていく。

昔、僕らも現役時代、早稲田との対戦で秩父宮に行くと、トイレから煙がもくもく上がってるんですよ。個室がすべて埋まってて使えないんです。煙草を吸ってるんです。それを後の菅平の合宿で言うとね、「ばか、お前らとやるときに俺らがどんだけ緊張してるか知らんだろう」って。「たった一個のパスミスでもう使ってもらえないんだ。スクラムハーフなんてチームに14人いるんだから」って。


視点を変えたらいいね。変えてくれるような人からいろいろと話を聞くといい。「そんなふうに俺らは見られてるんだ」って。そうしたら、前半10分の立ち上がりをどう引っ掻き回すか、その流れであと20分は持つ。それで残り10分のところでトライが取れたら、これは勝てるかもしれない。ラグビーを心のゲームとして考える。難しい心理学の原理ではなくて、素朴な日ごろの実感としての。実感京大ラグビー。選手が作れ。


――チーム全員が同じところを向くということも大切ですね

それはOBも含めて、みんなでこういう座談会で考えたらいいな。学生がその意義がわかると思うなぁ。監督・コーチが言っていることは理想論すぎる、とか自由に言えて。それはどこかの人材がいっぱいいるところのラグビーだと。うちらのやるラグビーだったら、それこそ東大流に、ストレートダッシュとハードタックルの練習を中心に据えるとか。Tackle is the Best Form of Attackにつながるハードタックルから2本、3本トライを取る。ハードタックルで守り切る。これを軸としていく。負けたとしてもそれができなかったからだと割り切れる。Better Side Won、相手が上回ったんだと。それなら「ハードタックルはどうしたらできるようになるんだろうか。ダブルタックルを覚えようか」、「相撲の立ち合いの身のこなしを取り入れよう」ってなる。

学生が考えないと、自分事として。コーチに頼り過ぎていないか、コーチもそれにプレッシャーを感じすぎていないか、京大のよき、自由な気風のラグビーを出してほしい。


――伝統の継承について

京大の伝統を使う、それは自主性だと思います。学生がどうやったら勝てるかということを真剣に考えているかですよね。何か一言、学生に言ってくれといわれたら、「どうやったら勝てるかを考えてるか」ということを聞きたいですね。君らが必死でダイヤモンドのスクラム考えたように。京大ラグビーの身体文化の継承と創造の引き出し、戦術やスキル、体の使い方の引きだしなどを100周年の節目に作ったらどうでしょう。俺らのときはこうだったよというような。本質、基本の引き出しだから押し付けない、(現役がスキルを探るために)引き出すんだから。分からなかったらOBに聞いて考える。「ちょっと教えに来てもらえませんか」となれば、京大のラグビーを通じてOBとの交流が活発になる。


(2021年2月15日小田さんご自宅にて)

取材:奥村健一(H2/LO、読売新聞)山口泰典(H4/No.8、読売新聞)但馬晋二(H24/FL、読売テレビ)



▼小田伸午さんのプロフィール

1954年、愛知県生まれ。79年、東京大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科を経て、84年に京都大学着任。同大学教養部助教授、高等教育研究開発推進センター教授などを歴任し、2011年から関西大学人間健康学部教授。東京大学ラグビー部で初めて楕円球に触れ、4年生で主将を務める。大学院時代は日本ラグビーフットボール協会の強化委員、代表チームトレーニングコーチの要職に就き、1983年のウエールズ遠征に参加した。京都大学ラグビー部を1984年から7年間指導し、87~89年に監督を務めた。


▼小田伸午さんの「特別インタビュー3」動画はこちら(約18分)

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