2012年9月1日。創部90周年記念式典と共に同志社大学定期戦でのアフターマッチ ファンクション(以下AMF)がクラブハウスの杮落しとして行われました。それから既に8年が経ちますが、クラブハウスが現役クラブ会員によって、AMF、練習中のビデオ分析、練習後の選手の食事、またOB会員の更衣室等として十全に使用されており、監督団の皆さんのご指導のもと部員による清掃活動も適切に行われ、丁寧に使っていただいていることは、設計に携わったものとして嬉しい限りです。
クラブハウス竣工までの経緯は創部90周年「記念誌」、石田徳治さん(S48年卒)の「クラブハウス建設経緯」に詳しいので、ここでは建設当時にクラブ会員宛に送付したメール等の残された資料を手掛かりに、設計時と建設時の状況を振り返りたいと思います。
①背景
クラブハウス建設の話を聞いたのは、2008年2月のことである。当初から準備を手伝っていた同期(S62年卒)の今井達浩君から設計協力要請を電話で受けて、その検討資料をメールで送付してもらった。
送付された資料には宇治グランド内に4つの候補地が記されてあった。また、簡略な平面図が作成されていたので、それらを手掛かりとして予算や施設の使い方など(試合後のAMF、パントリー、トイレなど)を検討の上改めて具体的なプランと断面図のスケッチを作成し、これらを執行幹事会で使う資料として送付したところ、程なくして石田徳治副会長(当時)から電話があり、石田さん、田代芳孝さん(S48年卒)、亀岡友樹さん(S56年)と新宿で打ち合わせをすることとなった。現役時代、コーチとしてグランドでお会いしていた大先輩達と差しでお話ししながらお酒を飲むのは、多分初めてであり少し緊張したが、お酒のピッチが速い打合せで久しぶりに大いに酩酊した。
②ヒアリング
実際に最もよく使う現役クラブ会員がどのように思っているのかを知りたく思い、2008年5月に、現役選手とマネージャーの皆さんから話を聞く機会をいただいた。設備機材等の要望が多かったが、そこからは、今後クラブハウスで行われる毎日の活動が見えてくるようでした。
●現役選手の要望
1)トイレ(大便器)
2)ビデオがすぐ見られる環境
3)各パートのミーティングスペース(フォワードは毎日練習後ミーティングをする)
4)冷暖房
5)外に飲料用の水道
●マネージャーの要望
1)お湯がでる環境
2)製氷機3台
3)炊飯器(合計3升が一度に炊けるように!)
市口順亮さん(S39年卒)がメーリングリストに投稿された、早稲田大学のクラブハウスの使われ方、日本ラグビー協会のジャパンクラブでのラグビー関係の記念物の展示方法。また、田代さんからは35年前に所属していたというイギリスのクラブのラブビーハットの写真を見せていただいた。小さく家庭的な、とても愛らしい建物で、まわりの風景にすっぽりと納まっているのが印象的だった。また、日高保さん(H6年卒)からご提案頂いた、「環境対策、地場産業への配慮、地域との連携。時間をかけながら、現役とOBが作り上げていく建物」というお話も大変魅力的であった。
これらの情報を参考にして、基本設計および詳細スタディーを詰めていった。
③コンセプト
ヒアリングも踏まえクラブハウス設計については以下の点について留意した。
1)コスト面、使用勝手から明快なプラニングを心がけること。
2)AMF(室内約60名、外部テラスを入れて、合計100名)、現役の練習ミーティング、練習後の食事など、さまざまな用途に供する大きなスペースを用意すること。
3)季節の良い頃には、気持ちの良い通風が確保できること。
4)クラブ員全員で共有できる室内となること。また、京大ラグビー部の歴史を、倉庫にしまってしまうのではなくオープンにできること。
5)小さいながらも、大きなグランドから認知できるような建物とすること。
実施体制
クラブハウス建設の実施体制については、清野純史部長(S56年卒)が窓口となり継続されていたが、私は2008年12月に初めて大学施設課との交渉に同席した。
1)大学に寄付を集め、大学に建ててもらう。
2)クラブに寄付を集め、クラブハウスの建設をした後、建物を大学に寄付する。
という2つの方法が議論され、税金控除等寄付をされるクラブOBの負担を軽くするべく、大学に寄付を集め建ててもらう方式が採用された。
また大学からの実施設計および監理業務の発注については、弊社への随意契約を打診頂いたが、私の中南米への渡航・滞在時期と重なったため、建築学科の同期で地元京都に基盤を置いて設計活動をしている松本正氏に対応をお願いしたところ、快く引き受けてくれたため、建設委員会からクラブ会員の皆さんへ、建設コンサルタントの紹介を行った。
松本さんが当初のコンセプトを維持しながらも大学やクラブ側の要請を慎重に取り入れて入札図書作成および監理業務を行ってくれたことが、実施段階におけるフレキシブルな対応につながったと思う。
⑤対話
和田文男会長(当時、S36年卒)が唱えられた「芝生のグランドとその脇に建つクラブハット(クラブハウス)」の信念のもと、石田さん、亀岡さん、湯谷 博監督(当時、S47年卒)および下平憲義バックスコーチ(当時、S58年卒)や稲葉裕さん(H2年卒)をはじめとする執行幹事会および建設準備委員会の皆さんの、関西、名古屋および東京を複数回横断する熱心な行脚による対話と議論を傍らで聞くとき、クラブとラグビー競技そのものに対する熱い思いを再認識した。
丁寧に検討されたプラニングに基づいて創られた空間環境は、生活の快さにつながり、クラブ活動上必須な「道具」となる確信はあったものの、思い返せば会員の皆さんに対して拙い説明をしていたものだと反省しきりであるが、意見を異にされる会員の皆さんからも熱心に聞いて頂き、また、個人的に励ましのメールを頂くなど何度となく思いがけない反応をお受けしたとき、京都大学ラグビーフットボールクラブが1つの家族のように感じ、作業を継続していく上での大きな励みとなったことを、今は懐かしく思い出す。
S62卒 小泉浩隆
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