085: 学生主体のラグビー、やるのは選手や(S40 只井 喜信・元京大ラグビー部監督)

更新日:6月9日

昭和40年卒で、平成24年~28年の間、監督として京都大学ラグビー部を率いた只井喜信さんへのインタビューを行いました。星名監督のもとでの学生生活、名プレイヤーとともに過ごした社会人ラグビー時代、監督として数十年ぶりの現場復帰となった5年間...。只井さんのラグビー人生を通して「京都大学のラグビー」について考えます。(H29 中井 友也)




昭和46年、慶応大学との定期戦


 印象的な試合があります。昭和46年、私は社会人ラグビーを引退し、星名先生のもとで京大ラグビー部のコーチをしていました。その年の主将はCTBの前田(S47卒)。「とにかく走れ」の指導方針で、学生から「堪忍してくれ」と声が挙がることもありましたが、「あと4日死ぬ気でやれば3日は休ませたる」と追い返すような日々でした。結果、Aリーグでは3位という好成績。中京大にも勝って大学選手権にも出場しました。

 数日後に控えた年末の慶応大学との定期戦。スクラムはまとまらず、どうにもならない状態になっていました。星名先生は「ワシの言うことを聞かんのなら、知らんっ」とおっしゃって、次の日から練習にも姿を見せず、定期戦の当日もグラウンドに現れませんでした。

試合は星名先生の言葉に発奮した選手たちがスクラムを押し、前半35分の時点で8対8。しかし当時は、関東が40分ハーフで、関西は35分ハーフ。初めて戦う40分ハーフということもあってか残り5分で2トライを許し、8対16で前半を終えました。

 ハーフタイムでは「関西の試合では10点以上の差を逆転したことがあるではないか、もっと徹底的に押し込め」と激をとばし、後半を迎えました。

 見違えるようなスクラムで相手を押し込み、自然とボールがよく回るように。バックスもよく走り、最終的には逆転。二十数年ぶりにあげた慶応大学からの勝利でした。


1971年12月19日、秩父宮ラグビー場、京大対慶応大定期戦後の京大フィフティーン。(京大 32-24 慶大)


ラグビーとの出会い

 ラグビーを始めたのは神戸高校時代のこと。神戸高校と京都大学には同じ濃紺のジャージを使っているという縁があります。昔の生徒が、星名先生が主将を務めたころの京大ラグビー部の姿に憧れたのがルーツといわれております。

 のちに自分も浪人を経て京大ラグビー部に入部することになりました。イングランドから帰国されて、指導者になられていた星名先生から指導を受けました。



刺激を受けた社会人時代の盟友


 大学を卒業後は三菱重工京都に。学生時代から自分は体が小さかったので、何をおいても“とにかく走ること”“走り負けないこと”。

 同期からも刺激を受けました。横井章(早大卒、のち日本代表主将)や、高校時代の同期でもある小俣忠彦(早大卒、のち日本代表主将)らとは常にラグビー談義を。「スクラムは押せ」「走りまけるな」「前へ出るタックル」を徹底することで、6年間の選手生活のうちに三菱重工京都を全国ベスト4の常連チームにすることができました。

昭和40年(1965年)9月27日の朝日新聞。関西社会人対抗ラグビーでの三菱重工京都vs大阪府警(14-17)。写真中央、大阪府警の突進をタックルしているのが只井さん。


自身の現役引退後


 現役引退後は京大ラグビー部のコーチに。星名先生のもと、難解な星名理論を学生に翻訳する役割と思って務めました。その中でも強調したのはやはり、「スクラム」「走ること」「タックルで前に出ること」。そして冒頭の、昭和46年の慶応大学戦へとつながります。

試合後、私は直ちに秩父宮から星名先生のご自宅に電話をしました。そのときの先生の喜んでおられたお声は今でも覚えています。

 後になって思うことですが、あのときの星名先生は心を鬼にして学生を突き放されていたのだ、と。選手を奮起させるための奥の手、絶妙の指導であったと感服します。そのおかげもあって、選手は基本に立ち戻り、猛練習を重ね、試合当日を迎えられたのです。



平成24年に監督として現場復帰


 その後、指導の現場から離れ、しばらくは社業に専念しておりました。現場復帰はおよそ40年ぶり、私は70歳でした。久しぶりにみたラグビー部は、かつてのものとは大きく変わってしまっていたというのが正直な印象です。監督就任当時(H24頃)はBリーグ内でも上位校と下位校で大きく実力が開いてしまっており、日々の練習でのモチベーションを維持しにくかったのも原因の一つかもしれません。



 私自身もかつてのように、学生と真正面から向き合えるほど若くなかったというのが心残りです。

 京都大学のラグビー部は学生が主体。最終的にやるのは選手。強いチームというのは、雨が降っていようが試合に負けた翌日であろうが走っている。時間を見つけてはトレーニングをしている。キャプテンがチームを盛り上げ、チームがその気になれば結果は必ずついてくる。今の現役諸君が頑張り、結果で報われることを祈念しております。


S40年卒 H24年~28年度監督・只井 喜信


只井監督が率いた最後の東大戦(2016年12月24日)。ノーサイドの瞬間。(京都大学A 28-26 東京大学A)

2021年12月30日取材:H29年卒/FL 中井 友也・H24年卒/FL 但馬 晋二


 

トピックス/京大ラグビー部創部百周年記念 シンポジウム開催及びウェビナーのご案内


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