近頃はどのチームも活動期間が長くなって、春シーズンが7月まで続くチームも珍しくありません。宇治の「県祭り」は昔から6月5日に開催されるのが恒例ですが、私が入部した1968年当時、その時期には既に春シーズンが終わっていて、部員で連れ立って深夜の奇祭をのんびり見物したものでした。その頃はシーズンオフが長かったおかげで、ラグビーの他にも多彩な活動ができましたが、今はそんな余裕も余りないようです。
近年の大学改革の影響でしょうか、授業の出席管理が厳しくなって、練習時間が随分遅くなった上に、シーズン中も昔の様にラグビーだけに没頭している訳にはいきません。授業料が高くなったこともあり、練習後もアルバイトを余儀なくされる部員も珍しくなく、中には無理が祟って入院した部員もいました。昔なら何の心配もなかった新入部員の勧誘や就職活動にも精力を割かねばなりません。
このように、部員を取り巻く状況は近年厳しいものがありますが、それでも各年度のチームは4回生を中心に良くまとまり、大学時代の貴重な時間をラグビーに捧げることについて真剣に悩みながらも、精一杯努力してラグビーの醍醐味を満喫してくれたことと思います。勝利に恵まれないシーズンもありましたが、それでもリーグ戦を戦ったどのチームからも等しく、京大の選手の直向きさやフェアプレー精神に対して、惜しみのない賛辞をいただきました。
時代とともに変わるもの、変わらないもの
ラグビーは時代とともにルールが大きく変わり、スキル、フィットネス、戦術が飛躍的に向上した結果、ゲームのテンポが上がり攻撃がより長く継続して、ますます面白く醍醐味のあるスポーツに変貌しています。昔なら修得するのに何年もかかったスキルが、練習方法の進歩によって短期間で身に付く様になり、選手にとっては幸せな時代になったものです。
一方では、40年前に星名秦先生が強調された、生きたボールの継続支配、ディフェンスのプレッシャー、プラットフォームにおけるドライブの重要性など、戦略上の要諦は何ら昔と変わっていない様に見えます。個々の選手の個性や判断力を尊重し、それをベースに戦略を組み立てていく京大の伝統的なチームスタイルを今の部員はしっかり受け継いでいますし、新しい戦略、戦術を積極的に取り入れるチャレンジ精神や、戦術判断や試合分析、練習内容について合理的に考え実践していく京大の伝統は変わるものではありません。
幸福で濃密な時間の積み重ねが、幸福な結果を生み出す
私が監督を拝命するずっと以前、1990年の夏にニュージーランドで開催されたコーチングセミナーに参加したことがあります。セミナーのチューターは協会のコーチング・ディレクターBill Freeman氏。世界のラグビーをリードするその重要な立場からは思いもつかないほど謙虚で気さくな紳士でしたが、セミナーの冒頭に話された言葉が彼の人柄とともに強く記憶に残っています。それは「人が幸せであるべきなのは、今のこの瞬間、この場所であって、遠い先のどこかではない。そして、この瞬間に選手を幸福にすることがコーチ自身にも幸せをもたらすことになる。」といった趣旨の話でした。日本の「楽苦美」には、辛くて苦しい練習がハッピーなエンディングとトレードオフになる様な意味合いがありますが、それとは好対照をなしています。
毎日の練習が楽しく充実したものであり、そういった幸福で濃密な時間を着実に積み重ねることこそが、試合においても幸福な結果を生み出すことになる。浅学非才の故に部員の能力を上手く引き出せなかったことを恥じるばかりですが、チームの運営やコーチングにあたっては、常々こういった考えを理想としてぜひ実現したいと考えて来ました。
監督在任中、コーチとしてOBの下平憲義、三浦広道、岡市光司の各氏に、そしてクラブ外から竹森弘泰氏に部員の指導をお願いしましたが、皆様、多忙な時間を割いて本当に熱心に指導してくださり、部員の技術レベルの改善とチーム強化に大きく貢献していただきました。竹森コーチは、世界的に有名なニュージーランドのコーチ、ロリー・オライリー氏に長期に亘って師事し、その後三菱自工監督として海外の代表選手をコーチするなど、本場のラグビー理論とコーチングスキルに精通した貴重な人材です。チームにしっかりした基本スキルが定着したのは、竹森コーチに依るところが大きかったと思います。残念ながら遠隔地勤務のため、指導がほぼ休日に限定され、十分力を発揮していただけなかったのはチームにとって不幸なことでした。
清野純史部長には部の運営や大学事務本部との交渉等について随分力になっていただきました。新入部員獲得やグラウンド環境については、城田育士、南出聡、岡市光司の各氏を中心に多くのOBの皆様方にご尽力いただき、宇治グラウンドの施設管理については、管理人の北吉弘、西田善吾の両氏に大変お世話になりました。
2006年〜2008年
監督に就いた2006年の春シーズンには満足な結果が出ず、部員は不安一杯でしたが、夏合宿で攻撃のテンポアップに成功し、合宿明けから9月末まで精力的に走り込んでリーグ戦に臨みました。その結果、初戦では惜敗したものの、次の優勝候補、大阪産業大学との試合では、スクラムの大健闘と北原広大主将のカウンターアタックが冴えて快勝することができました。終盤になって些か失速したものの、この年はリーグ戦で久し振りに5勝を上げています。
平成18年(2006年)北原組、菅平での夏合宿
左)2006年北原組東大定期戦。ドライビングモールを押し込む/中・右)2006年度全試合を終えて(宝ヶ池球技場)
翌2007年度は、飯島佳英主将を中心に厳しい走力トレーニングに努めた結果、リーグ戦では関大戦で大方の予想を覆し走り勝つことができました。この試合を契機にリーグ戦では順調に6勝を上げて4位となり、駒場での東大戦も圧勝して近年にない好成績のシーズンとなりました。
2008年度は、森田暢謙主将の優れたリーダーシップのもと、春からハードな練習を続け、前年と同じく6勝を上げています。この年は、森田主将がBリーグベスト15に、大脇克也選手が関西大学リーグの香港遠征メンバーに選抜されています。
左)平成20年(2008年)森田組メンバー全員で記念写真/右)リーグ戦最終戦を勝利で飾り、胴上げ
2009年〜2011年
これまでの3年間を戦ってきて、Bリーグの上位3チームとは特に筋力の差で圧倒されるため、2009年度からは専門のトレーナーと契約して、系統的な筋力強化に取り組み始めました。しかし筋力アップは短期間で成果の表れるものでなく、またスキルや走力トレーニングの時間が圧迫されたためか、この年はこれまでよりチーム力が低下する結果となりました。しかし、宮田朋弥主将と少ない4回生が中心となって良く健闘し、リーグ戦では不戦勝を含めて4勝を上げ、特に最後の大阪教育大戦では優れた攻撃力が発揮されました。
2010年度は、井口達也主将ほか4回生が多くて期待された年でしたが、リーグ戦では競り負ける試合が続き、結局2勝だけに終わりました。しかし、次第に調子を上げ、年末の東大・九大戦ではA・B両チームとも勝ってシーズンの掉尾を無事に飾ることができました。
2011年度は、夏合宿で成城大学に勝った後は伸び悩み、リーグ戦では2勝したものの7年振りに下位リーグとの入替戦に出る結果となりました。入替戦では、今まで経験したことのないプレッシャーを受けながらも、並川卓矢主将を中心に集中力を持続させて、何とか接戦を制することができました。一方、この年には久し振りに15名を越す新入部員を獲得しています。
AリーグやBリーグ3位以上のチームは、例外なく100名規模の部員を擁し、多くの部員が切磋琢磨して高いチーム力を保っています。京大はこれまで30名余りの部員しかなく、毎年Aチームがリーグ戦を戦うことに精一杯の状況が続いて来ました。多くの新入部員を安定して獲得できる様になれば、次世代を系統的に育成することが可能となり、チームの持続的な成長が十分に期待できます。
国際交流という貴重な財産
監督在任中、2008年にエディンバラ大学、2010年には Imperial College London、そして2011年は台湾大学と、3回の国際親善試合を実現できたことも楽しい思い出です。これについては、企画から実行に至るまで、米良章生先輩のご尽力に大きく負っています。試合だけでなく京都観光や交歓会などのイベントを両校の選手同士で企画し交流することにより、部員の異文化理解を促し国際感覚を磨く端緒を開くことができました。
2007年末にエディンバラ大学から試合の打診があった時は、京大としてこれまで殆ど国際試合の経験がない上に、先方の体格やスキルがどの程度なのか全く情報がなく、ミスマッチになることを心配しました。しかし、エディンバラ大学のLeg Clark団長がかつて神戸製鋼に在籍して水田時彦氏と親交があったことや、米良先輩から強いお薦めとご支援をいただいたことにより、2008年6月7日に宝ヶ池球技場で親善試合が実現する運びとなりました。
選手は不安一杯でしたが、いざ戦ってみると相手チームは、オフロードパスと的確なサポートを駆使した連続攻撃など、当時としては最先端の戦術を披露してくれました。対する京大も森田主将の活躍などで健闘し、お互いの持ち味が出せた楽しいゲームになりました。国内チームとの試合では経験できない新しい戦術を学ぶことができて、その年のリーグ戦を戦う上で大きな力になったことは確実です。キックオフ前には、在阪のバンド、Ramsay Pipebandがバグパイプの演奏を披露してくれるなど、OBや支援者も巻き込んだ賑やかな国際交流の場になりました。試合後の交歓会や、その後の居酒屋での交流会、観光案内などを通じて、同年代の外国人と密接に交流し、異文化を理解する糸口が掴めたことは、部員にとって素晴らしい経験になったと思います。
その後、2010年にImperial College London 、2011年には台湾大学と親善試合を行いますが、両校はそれぞれ英国と中華民国を代表するエリート校だけに、知的で楽しい会話が交わされ、部員にとって国際感覚を養うまたとない機会となりました。
こうした国際試合でそれぞれのチームの支援者と接して感じたことは、国際感覚豊かな若者を育てていこうとする彼らの強い意気込みです。厳しいリーグ戦を勝ち抜くことも大切ですが、こういった国際試合を通じて海外の若者と交流し親睦を深めることは、部員の将来に資する貴重な財産を築いていくことになります。京都という土地柄から、これからも多くの海外チームを迎えることになりますが、京大が海外に遠征することも含めて、多彩な国際交流を今後とも一層進めて欲しいと願っています。
OBの熱意と支援
監督に就任した当初、宇治施設は完成後40年を越え、グラウンドは表土が流れて底の石炭ガラが露出する有様で、合宿所、部室棟、シャワールームは老朽化し、とても80年を越す伝統を持つチームのものとは思えない貧弱な練習環境でした。
しかし、和田文男前会長のリーダーシップのもと、OBの皆様から手厚い援助をいただき、田代芳孝会長、石田徳治副会長をはじめ、瀬戸口哲夫前総務委員長、峯本耕治会計担当幹事など関係各位のご尽力のおかげで、この6年間で部員を取り巻く環境が飛躍的に改善されて行きました。グラウンドの芝生化をはじめ、部室、ウエイトルームやシャワールームの改修、そして新しく完成したクラブハウスに至るまで、快適にラグビーができる環境が目覚ましく整備されて来ました。大学当局も、このようなOB諸兄の強い熱意に促されて漸く合宿所や部室棟の改修に動き始めています。
監督在任中には、本当に多くのOBの皆様方および関係各位から、このような練習環境の改善をはじめとして、物心両面に亘り様々なご支援と激励を賜りました。衷心より感謝申し上げますとともに、今後とも部員の皆さんがこれらの優れた活動環境を活かし、より高いレベルのラグビーをエンジョイしてくれることを心より願っています。
S47年卒/H18~23年度監督・湯谷 博(京大ラグビー部90年誌より再編集)
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