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118: 【創成期編10】秘密の定期戦 (S55 真田 正明)

更新日:1月25日

 1943年に入ると、2月に日本軍はガダルカナル島から撤退、4月には山本五十六大将が戦死するなど、戦況は日増しに悪化した。市民生活への統制が強まるなか、ラグビーは「闘球」と名前を変えられたものの、「敵性スポーツ」とはされなかった。しかし、対抗試合は次第に実施が難しくなっていった。

 10月1日に文科系学生の徴兵猶予が撤廃され、この月に入学した新入生を含め12月に入営させることになった。学徒出陣を前に10月17日、戦前最後の公式戦があった。京大グラウンドに同志社を迎え、14-10で勝った。


1943年(昭和18年)10月17日、戦前最後の同志社戦に臨む京大チーム

 ところがこの後、もう一つの定期戦が東大とこっそりと行われた。この年、東大ラグビー部には甲南高校、三高、大阪高校などから有力な選手が入部した。しかし、文系学生は入ったとたんに徴兵されることになり、「戦死する前に伝統の京大戦をやろうではないか」ということになった」(伊藤健一郎=甲南出身、東大1944年卒)。

 京大にも同窓の選手が多く、話はすぐにまとまる。10月19日に、大学当局の目を避けて三高グラウンドで試合することになった。しかし、団体で移動すると目立つので一計が講じられた。伊藤の述懐を続ける。 「双方一切の秘密ということで、東大の各人は勝手に関西へ旅行したり、帰省したりということにしてバラバラで東京を離れ、当日タマタマ京都の吉田山にやってきたらバッタリ仲間に出会い、それでは一つ練習試合をしようということになったという形にした」。


秘密の定期戦を戦った東大チーム(東京大学ラグビー部百年史より)


 公式の記録はないが、東大OBの日記によると、接戦の末11-12で京大の惜敗だった。伊藤は「遂に『京大に勝った』のである。私はこれでもう戦死してもよいとさえ思った」と記している。試合後、両校の選手たちは肩を組んで両軍の歌を歌い、連れだって祇園に向かった者もあったという。

 この物語は「キミに最後の別れを~永遠なれラグビーの青春~」のタイトルでドラマ化され、NHKBSプレミアムで放送された。

 12月になると文科系の学生がいなくなった。理科系の学生は、勤労動員の合間にも週に何回かはグラウンドに集まって練習し、ほそぼそと伝統の灯を守り続けた。翌44年度は、試合の記録も残っていない。



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