029: ともに、高みへ!―京大ラグビー部からの「招待状」〈前編〉(H3 中崎 学)

更新日:7月27日

2018年に平成年代で初のBリーグ3位に躍進した京大。次の目標は悲願のAリーグ復帰だ。OBから、高校生ラガー・京大へ入学した学生たちへの熱いメッセージ。




 4年半ほども前になる。京都大学ラグビー部のOB会メーリングリストに記されていた、入部してまだ半年にしかならない1回生のコメントに、目を奪われた。


「昨日1回生全員で話し合って、卒業するまでにBリーグ上位入替戦出場、Aリーグ昇格を目標に定め、絶対に達成します。」


 「叫び」を聞いた。そう思った。コメントが書かれたタイミングが、そういう激しい印象をあたえたのだろう。



Cリーグとの入替戦

 2016年、11月27日。最終戦で神戸大に5―6で敗れた京大は、2勝7敗の不本意な結果で関西大学Bリーグの日程を終えた。だが、ここで終わりではなかった。当時の規定では、Bリーグで戦うのは10チーム。上位2チームは、Aリーグ7位・8位に挑む入替戦の出場資格を獲得し、下位2チームはCリーグとの入替戦にまわる規定だ。普通に考えれば、2勝すれば9位以下に沈むことはない。だが、勝負のアヤは、つねに「普通の考え」をかいくぐってやってくる。それに京大はつかまってしまった。大阪経済大との三つ巴の争いのなか、最終戦で京大が勝てば他大学が入替戦へと押し出され、神戸大が勝てば京大が入替戦の憂き目をみる。そうしたギリギリの事態になっていた。


 大学選手権や日本選手権の決勝は、ラグビーファンの誰もが認める「大一番」だ。しかしじつは、ラグビーシーズンの終盤には、日本全国どこにおいても「大一番」が戦われている。京大と神戸大の関係者にとって、この最終戦は、下位リーグに転落する危険を回避できるかどうかの、意地と意地とがぶつかりあう掛け値なしの「大一番」だった。

 そのゲームに、京大は負けた。結果、9位が確定し、Cリーグ2位の追手門大と入替戦を戦わざるをえないことになった。


 冒頭に引いたのは、その神戸大戦に出場した鈴木賢人(№8/函館ラ・サール高校出身)のコメントだ。なるほど、そこには「下位への入替戦に出場する立場で言えたものではありませんが」という留保がついてはいた。しかし、Bリーグの相手との切磋琢磨に敗れ、下位リーグとの入替戦にまわるという失意と屈辱のさなかで吐かれた言葉だからこそ、「想い」の真摯さと「叫び」の強さがこもっていた。シーズン前には思ってもみなかった窮境のさなかで固められた覚悟だ。これが本物でないはずがない。

 ――だが、決して負けないと誓ってのぞんだ追手門大との入替戦で、京大は崩れた。10‐57。予想だにしない惨敗だった。



平成の京大ラグビー部

 京都大学ラグビー部(KIURFC)の歴史は古い。創部はつとに1922年(大正11年)。前身となる旧制第三高等学校ラグビー部はさらに10年以上もさかのぼり、慶應義塾大学につぐ日本で2番目の創部を誇る。伝統はそのまま定期戦の充実に反映している。慶應義塾大、関西学院大、防衛大、立命館大、成城大、同志社大、九大、東大。関西大学リーグ戦には同志社大とともにその立ち上げから参加し、戦前には3度の全国制覇、戦後には5度の大学選手権出場など輝かしい戦歴を刻みつつ、昭和のほぼ全期間をAリーグで強豪相手に奮闘しつづけた。


 だが、過去の栄光にすがって勝てるほど、関西大学リーグは甘くはない。

 昭和の終わり、故平尾誠二氏らを中心に傑出したプレイヤーを結集した同志社大が、大学選手権3連覇の偉業を達成したことは、いまなお多くのファンの心に焼きついている。東高西低が著しい昨今のシーンとは大きく様相を異にして、関西大学リーグが関東の対抗戦やリーグ戦の水準を抜いていた当時、京大ラグビー部にはもはやAリーグに踏みとどまる力が残っていなかった。1987年度、Aリーグで全敗し、入替戦でも立命館大に敗れてBリーグに陥落したチームは、翌年度のBリーグでも敗北を重ね、ついにはCリーグへと転落した。選手たちは動揺して自信を失い、OBたちはもどかしさに歯嚙みした。


 いちど地にまみれた者たちが、ふたたび巻き返すのはむずかしい。捲土重来ほど、むなしい紋切り型に堕しやすい言葉が、この世にあるだろうか。Aリーグは言うまでもなく、Bリーグのチームまでがスポーツ推薦で有力な選手を続々と入部させ、強靱なフィジカルを誇る留学生をも起用してくる状況に、ウチはそういった「特例」がないから、と脇をむいてうそぶくことも、京大ラグビー部の古い屋台骨を白蟻のように蝕んでいたのかもしれない。

 じっさい、相対的な浮き沈みはあったにせよ、平成の間ずっと、京大ラグビー部はBリーグの中位から下位を定位置とし、時にはCリーグで戦うこともあるという、伝統校の名のみが輝く、実力的には至極平凡なチームとして日々歳々を送ってきた。30年は、短い時間ではない。平成の初めに産声をあげた者たちが、いまジャパンの旗のもとに集って、ニュージーランドやイングランドといった世界の強豪たちと闘っている姿をみればよい。ひとりの赤ん坊が、心身ともに充実しきったラガーマンに成長するまでの長い長い間、京大ラグビー部は、ただ足踏みをつづけてきたのだろうか?



関西大学Bリーグへ復帰

 平成の30年がたんなる足踏みだったのか? それとも、たしかに長すぎはしたかもしれないが、やはりそれは、高みへの助走にほかならなかったのか? それが平成最後のシーズンに試されることとなった。

 既述のように、2016年度にCリーグ2位の追手門大に惨敗して降格の憂き目にあった京大だったが、翌2017年度のCリーグでは8勝1敗で2位となり、Bリーグ9位の阪大との入替戦をも制して、1年でBリーグに復帰した。

2017年12月、阪大との入替戦を制して、1年でBリーグ復帰(溝上組)

 だが、リーグを昇格するとは、それまで支流でぬくぬくと泳いでいた魚が、本流の広さと激しさのさなかへいきなりリリースされるようなものだ。セットプレー、ブレイクダウン、タックル。スピード、サイズ、タフネス。すべてにおいて次元が異なってくる。たった2年前、その手痛い洗礼を浴びて下位リーグへ追い落とされた記憶は、選手たちの心にトラウマとしてうずいていたにちがいない。OBをはじめ周囲からも、やれるのか? という危惧が声ならぬ声として渦巻いていた。だから、春に東京で行われた京大ラグビー部関東地区OB新年会での有澤善大主将(CTB/仙台第二高校出身)の宣言には、みな驚いた。

 3位以上になる。そう彼は言いきった。


写真は2018年の関西Bリーグ試合前の練習風景

 関西大学Bリーグのレベルは決して低くない。摂南大、龍谷大といったAリーグと遜色ない実力を誇る強豪ばかりではない。トンガ人留学生たちを擁する花園大、サイズの大きな選手を集めた大阪産業大だけでなく、伝統的にバックスの展開力にすぐれ、毎年上位チームを脅かす大阪教育大にも、京大は近年ほとんど勝ったことがない。

 3位以上になるためには、単純計算で2敗までしか許されないことになる。いや、こう言うべきだ。少なくとも7つは勝たねばならない、と。

 昂然と目標をかかげた新主将の顔に若々しい決意を読み取り、拍手を送ったOBたちだったが、心中では平成30年間の戦績をかんがみ、声にならぬため息をもらしていたのではなかったか。


 だが、いったんシーズンが始まると、そのため息が歓声に変わるのに時間はかからなかった。

 【後編へつづく】

(H3 中崎 学/編集:H2 柴野 恭範)



2018年関西Bリーグ初戦、追手門大戦
2018年関西Bリーグ2戦目、花園大との一戦
2018年関西Bリーグ6戦目、大教大の攻撃をダブルタックルで阻む

>後編へ続く


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