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057: 大学日本一監督から見た京大ラグビー(天理大学・小松 節夫監督/特別インタビュー3)

更新日:2021年11月26日

 天理大学の小松節夫監督に、京大ラグビー部の印象などを聞いた。


▼天理大学・小松 節夫監督さんの「大学日本一監督から見た、京大ラグビー」動画はこちら(約12分)



――同志社大の選手時代、そして監督として天理大のBリーグ時代に京大ラグビーの印象は


学生時代はあまり大きな印象はない。天理大で指導を始めた時、まずCリーグに落ちた時の相手が京都大という認識はあった。1年目か2年目の春シーズンに練習試合をした時に、京大がまったくボールを蹴らず、展開した。「天理が相手なんだから、キックせずにどこからでも回して攻めろ」という意図だと感じ、「天理はそういう扱いなんだ」と感じた。

 その後、Bリーグで対戦していた時は、簡単には勝てない相手でいつも緊張した。大阪教育大もそうだが、あきらめない、最後までしつこくラグビーをする印象が強い。やりにくい相手だった。

 Aリーグに上がった2002年に、京大の80周年に招待いただき、部長とともに式典に出席した。その時に、高齢のOBの方たちがそろいのブレザーを着て、そろいのネクタイを締めていた。それがものすごくかっこよかった。伝統の重みがあるチームはかっこいいな、こういうチームになりたいなと思った。

 天理大は長い伝統がある割に、ネクタイやエンブレムがいつのころかにでき、色や柄が合っていなかった。Aリーグに上がったら全部新調して、伝統校にふさわしいチームになりたいと思った。

 天理大からは大勢の素晴らしい指導者が出ている。京産大の大西健先生、大工大高の荒川博司先生、啓光学園の記虎敏和先生らもそうだ。卒業されて自分のチームを育てているので、その分、天理大への思いや母校の面倒を見る空気がちょっと少なかったように思う。


1989年、オール同志社英国遠征時の写真(最前列左が小松さん)

1989年、オール同志社英国遠征時の写真(中列左から五人目が小松さん)

1989年、オール同志社英国遠征時の写真


――天理大は2025年に100周年を迎える


100周年までに日本一が間に合ってよかった。96年目だった。天理中、天理高はすでに日本一になっているのに、兄貴分の天理大だけ日本一がなかった。

 



――京大は100周年に向けて「Aリーグ復帰」を目指している。何かアドバイスがあれば


100年の伝統を誇る素晴らしいチームなので、京大らしいスタイルがあると思う。そこはしっかりと継承する。

 Aリーグには天理大含めて外国人がいたり、推薦で特待生を集めたチームもあって、条件はイーブンではない。でも「だから勝てない」と言ってしまうと、そこから先に進めない。我々も関東のチームに対して感じることもあるが、それを考えれば日本一になれなかった。いい選手は関東に行ってしまい、関西でも関関同立から埋まっていく。そんなことを言っている間は勝てなかった。それよりも、「自分たちは何ができるのか」と志を高く持ってほしい。

2018年度に京大がBリーグ3位に進出した。入れ替え戦も決して夢ではないと思う。十分可能性があると思う。学生たちが自分たちで走り、体を鍛え、足りないところを勉強し、コーチ陣が支え、体づくり、けがのケアをマネジャーを含めてみんながその気になって目指すのが大事だ。

 


――今シーズンも関西を盛り上げ、ラグビーファンをわくわくさせてほしい


春のトーナメントで同志社大に負けたので、この時点で日本一でも関西一でもない。また新たなチャレンジができると喜んでいる。「去年の自分たちを超えよう」と口では言っても、超える時の(原動力の)悔しさがない。今回、悔しさを感じたので、チームの雰囲気は変わっていくかなと期待している。



(2021年7月15日、Zoomにて取材)

奥村健一(H2/Lo、読売新聞)、山口泰典(H4/No.8、読売新聞)、但馬晋二(H24/Fl、読売テレビ)


▼小松節夫さんのプロフィール

1963年、奈良県生まれ。天理高、同志社大などを経て日新製鋼でもプレー。1993年に天理大のコーチに就任し、95年から監督。


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