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058: 真摯にラグビーに向き合い、楽しむチームへ(H20 飯島 佳英)

 自ら猛練習を課し、接戦を最後に制する。そんなチームを作り上げ、歴史を刻んだ「飯島組」の2007年シーズンを振り返ってもらった。



スローガンは『Fight Hard』


 2006年12月23日、天皇誕生日。3回生として迎えた東大とのシーズン最終戦、お世話になった4回生北原組、最後の試合。勝って花道を、との思いで怪我を押して出場した。京大有利の下馬評だったが、一度もリード奪えず27-31で敗れた。

 試合後のベンチ。面倒ばかりかけた4回生のFW副将、油田さんに「すみませんでした」としか伝えられなかった。情けなくて涙が出た。負けたことにではない。これまで死に物狂いで頑張ってこなかった自分に対してだ。この1年だけじゃない。2004年松下組の時も、2005年竹内組の時も。京大ラグビー部入部から3年。もっとラグビーに向き合えたのに、それをしてこなかった自分が情けなかった。


 一人ひとりがラグビーに真摯に向き合うチームを作ろう――。2007年度新体制発足にあたり、同期の新4回生で、何度も話し合って考えたチームの姿だ。リーグ戦9試合に焦点を定め、この720分でベストを尽くすために1年間頑張ろうと全員で誓った。湯谷監督・竹森ヘッドコーチ体制2年目。Bリーグ優勝という目標とともに、KIU R.F.C.として初めてスローガンを掲げた。『Fight Hard』。ラグビーというスポーツに必要不可欠で、KIU R.F.C.をひとつ上のレベルにあげるために必要な闘争心を、チームの心構えとして定めたものだった。



春:「どこに強くするスイッチがあるのか」


 鼻息荒く始まった2007年度だったが、春シーズンは苦しい時期が続いた。ラン、コンタクトとも例年より練習量を増やしたことも影響してか、怪我で長期離脱するメンバーが増えた。定期戦や練習試合で満足いく結果が出ない。シーズン初戦の神戸大は、前年リーグ戦で危なげなく勝利した相手だったが、22-19と辛勝。先輩たちの抜けた穴を痛感した。同じく4月に行われた関西学院大、慶應大との定期戦は0-94、22-81と見せ場なく惨敗した。

 5月の近畿地区国立大学体育大会(近国)。当初Bチーム主体での出場を考えていたが、怪我人が増え、やむなくAチームで挑んだ。初戦こそ大阪大に勝利するも、続く大教大には12-36で敗戦。こちらも前年リーグ戦では圧倒した相手だった。優勝は当然と思っていた近国ですら勝てない。理想と現実のギャップを痛感させられた。

 どこにチームを強くするスイッチがあるのか。悶々と苦闘する日々が続いた。コーチ陣とも話し合い、大教大の敗戦からの3週間、さらに練習量を増やすことを決めた。今のままでは不十分で、ギアを上げる必要があった。チームを引っ張る立場として、不安をかき消したい思いもあった。


 そして6月3日、立命大との定期戦を迎えた。1回生を初めてレギュラーで使い、ポジション変更でチームのポテンシャルを探るなど、秋を見据えた試金石と位置づけた試合。前半を14-12で折り返し、後半も均衡が続いたが27-24で制した。目標としていた成長カーブに乗った実感はまだなかったが、初めて練習と試合のイメージが重なった。苦戦が続く中、勝利に飢えていた個人の思い。タフな練習による基礎体力の向上。FWのセットの安定。BKの堅いDF。チームの強みとなるベースを発見、認識できた。



夏:手ごたえと不安と


 春シーズン終了後、待ちに待った天然芝の養生が始まった。6月の休日、雨が降りしきる中、田んぼと化したグラウンドに部員や地元ラグビースクール関係者が集まり、芝生の苗を植えた。「どんな風に出来上がるんだろう」と待ちわびた夏シーズン開始直前に訪れた7月の宇治グラウンド。晴れ渡る空に照らされた緑一面の天然芝は、息をのむ美しさだった。これがつい最近まで、ドロドロの土で覆われていたグラウンドとは。カッコイイ。ラグビー欲を掻き立てられるとともに、改めて思った。「恵まれた環境でラグビーができることを感謝しよう。恩返しはもちろん、ラグビーに向き合うチームを作ること。そしてリーグ戦で結果を残すことだ」と。


 いよいよ夏シーズンが始まった。ここからは選択肢の絞り込みが必要だ。合宿直前練習でさらに練習量を上げ、菅平に乗り込む。合宿では、メンバー選定を兼ねた実戦経験を積むとともに、自信をつけるために結果にもこだわりたかった。チームの基礎体力は明らかに上がっている。メンバーをある程度固定して練習と試合経験を積み、組織力も向上した。練習試合の結果は満足いくレベルではなかったものの、チームの強みを知り、「リーグ戦で結果を残せるかもしれない」と手ごたえを感じた。

 じつは合宿中、心が折れそうになる出来事があった。副将としてFWを引っ張る足立の合宿初戦での骨折だ。今年の4回生は9人中7人がFWで、院生として残った先輩を含めると前年のFWメンバーがほぼ残留。FWが軸のチームで、FWリーダーの足立がチームを離脱し、手術のため菅平から下山する。手術したとしてリーグ戦に間に合うか、ぎりぎりのタイミングだった。ここからもう一段、チームを強くできるだろうか…。

 そんな不安をよそに、他のメンバーはいつも通り元気に声を出し、練習に打ち込んでいた。カラ元気だったのかもしれない。でも、仲間に支えられていることを再認識した。その後、足立は手術を終えて菅平に再合流し、全体練習には参加できないものの黙々と筋トレをこなした。自分が練習に参加していないため、しんどさを理解していないようで、次々と過酷なメニューを課す鬼となった。



秋:勝つためにできることは何でもした


 いよいよ迎えたリーグ戦。すべてを賭けた9試合で、6勝3敗の4位。目標のBリーグ優勝はならなかったが、当時、平成年代で最高の戦績を収めた。(1位:摂南大、2位:大産大、3位:花園大。入替戦で摂南は龍谷大を圧倒しAリーグ昇格。大産は僅差で近大に敗れB残留。ちなみに3位の花園戦は唯一、取りこぼしたと感じた試合だった)。


 どの試合にもドラマはあるが、最終戦の大教大戦を取り上げたい。直前まで3連勝し、天然芝となったホームの宇治で、なんとしても勝って終わりたかった。大教大は5月に惨敗し、過去数年を見ても相性があまりよくない相手。PGで3点を先制するも、前半12分、17分、31分と大教らしいテンポの速い攻めで立て続けにトライを決められ3-17。前半終了間際、なんとかゴール前でFWがモールを押し込み10-17とした。

 後半9分、大教陣ゴール前ペナルティからトライを決めて15-17と詰め寄る。逃げ切りたい大教も20分、ラックを起点にした攻撃からトライ、ゴールも決めて15-24。残り20分で9点差ビハインド。焦る。最後に勝って皆で笑いたい、その思いだけが拠り所だった。25分、FWの突破からトライを奪い22-24。さらに31分、連続攻撃後ラックから大外に回して逆転のトライ。29-24とようやくリードを奪う。ここからの約10分は大教の猛攻をひたすら凌ぐ。京大がボールを持つ時間はほとんどなく、自陣での苦しいDFの時間が延々と続く。それでも誰一人足を休めず、全員でしのぎ切り、最後は相手のペナルティを誘ってノーサイド。最後に笑うことができた。




 リーグ戦で積み上げた6勝のうち大教戦を含む4勝は1トライ以内、かつ3勝は後半逆転しての勝利だった。精神的にタフな試合で取りこぼさなかったことが好戦績につながった。それを裏付けたのは、紛れもなく選手たちの努力だった。同時に、上位2校との差は歴然で、B リーグで頂点に立つには、1年ではなく中⾧期的なレベルアップが不可欠だと感じた。


 それにしても、楽しかった。チーム発足から皆で約束してきた、「リーグ戦の720分にすべてを捧げよう」という言葉通り、勝つためにできることは何でもした。悔いが全くないといえばウソになるが、個人としてもチームとしても、やりきったという達成感が充満していた。冒頭に触れた、前シーズンに迷惑をかけた油田さんには院生で現役復帰してもらっていた。しんどい練習につきあってもらい、結果を出せず苦しい時期もあり申し訳なかったが、リーグ戦最終戦のあと、「今年1年、現役復帰してラグビーしてよかったわ」と先輩からかけられた言葉で、少しは恩返しできたと胸を張れた。





定期戦:感謝の涙


 リーグ戦後も、もう少しシーズンは続く。九大戦と東大戦だ。完全燃焼していた僕らは、4回生で集まってあることを決める。九大戦は、4回生全員をスターティングメンバ―にして戦うこと。東大戦は、いつもの布陣で試合を始めるが、最後は4回生全員がピッチに立つこと。後輩にも、このわがままを理解してもらった。

 迎えた九大戦、キックオフからノーサイドの笛が鳴るまで4回生全員がピッチに立って80分間戦った。結果は36-27で勝利。1年前、ラグビーを向き合うチームを作ろうと決めた仲間全員での勝利。勝つことを最優先に取り組んできた1年間の最後に、勝つことだけじゃないラグビーの素晴らしさを味わえた瞬間だった。

 そして最終戦の東大戦。空は快晴。前半こそ相手の気合に押されて28-15で折り返すも、後半は東大をノートライに抑え、終わってみれば73-15での圧勝。スローガンに掲げたFight Hard、闘争心を選手全員が体現したゲームとなった。計画通り、後半20分からは4回生全員がピッチに立ち、ノーサイドを迎えることができた。

 試合終了の笛が鳴る少し前。同期木村のトライを喜びながら、このメンバーで真剣にラグビーするのももう終わりか、と思うと、涙がこぼれた。高校からラグビーを始めて、試合中に涙を流すのは初めてだった。ピッチに立つ仲間、監督団、応援してくれるメンバー、マネージャー、OBの方々を見渡す。自分はこんなにも恵まれた環境でラグビーをしていたのか。改めて気づかされた。1年前に流した涙とは違う。嬉し涙でもない、悔し涙でもない、感謝の涙だった。


 東大アフターマッチファンクションでの主将スピーチ。「僕たち4回生は、ラグビーに真摯に向き合うチームを作りたかった」と、後輩たちにとっては初めて聞くかもしれない言葉を伝えた。Bチーム育成まで十分に手が回らなかった責任を感じながら、僕たちが伝えたかったことはきっと受け取ってくれた、そう確信した1年間だった。


 短い大学生活で、他にもいろんな選択肢がある中で、僕たちはラグビー部に入ると決めた。そしてただラグビーをするだけでなく、ラグビーと向き合って、自分のため、仲間のため、応援してくれる方々のために頑張ろうと決め、それをみんなで実践した。

 最近のKIU R.F.C.配信を見ていても、今の現役が僕たち以上に真摯にラグビーに向き合い、楽しんでいる姿を想像できて、嬉しく思う。それこそが、KIU R.F.C.が100年で築き上げた文化、伝統であり、この先もずっと受け継いでいかれるものだと信じている。


KIU R.F.C.の今後の発展を祈念しています。

(H20卒 飯島 佳英)


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