097: 初めてのBリーグ転落とAリーグ復帰(S60 黒田 武嗣)

更新日:9月1日

「昨年、関西Aリーグ全敗、入れ替え戦でも大商大に敗退し初のBリーグ転落を味わった京大。名門凋落かと騒がれたが、今年はBリーグ全勝優勝、入れ替え戦でも立命大を27‐3とノートライにおさえて、見事一部復活を果たした。」

(協力:ラグビーマガジン 1985年2月号)



S 59年4回生のシーズンは、京大ラグビー部創部以来初めてのBリーグを経験しました。

当然ながら前年の入れ替え戦で負けた責任は我々の代にも有ります。


「何故我々が4回生の時にこんな目に遭わなあかんねん」、「今年は芝生の花園でプレーできないのか」とか言ってる場合では無く、これは大変なことになってしまった、何が何でも1年でAに上がらなければならないという立場に立たされ、あまりにもストレートな目標に向け、失敗は許されないという緊張感の中で、吉田監督、小田ヘッドコーチ、清野コーチ、檀上コーチ、峯本コーチ、平田コーチの下、部員全員が一丸となりAリーグ復帰を目指しました。

全員の目標は定まっていたので、吉田監督・コーチ陣始め、選手達もプレッシャーこそあれ、チームの雰囲気は至って明るかったと思います。

山中湖の合宿での同期の集合写真。 後列(左から):鈴木、石川、宮島、井口、伊庭 前列(左から):高木(マネージャー)、末川、能村、向井、池州(敬称略) ※加藤、黒田、末吉、垂、渡部は院試他で不在

左から、1)加藤、2)渡部、3)垂、4)黒田(左)/末吉(右)(敬称略)



その年は、現役の不甲斐なさを心配された大勢の諸先輩が試合、練習を見に来られ、叱咤激励を受けました。内藤、阿部、進藤、岩前、大楽、楠目、石黒、久保田、細見(敬称略)大先輩を始め蒼々たる先輩方がグランドに姿を見せられ、改めて京大ラグビー部の脈々たる伝統を感じました。

練習後グランドで円陣を組み、来られた先輩方の話を聞くのが恒例で、3回生までは、御爺さんから同じ話を何度も聞くのが少し苦手でしたが、先輩方は本当に現役に強くなって欲しい、Aリーグ復帰を心から願っておられると感じてからは、考え方が一転し真剣に耳を傾ける様になりました。


大勢の先輩方にもプレーの指導をして頂きました。和田さん、森田(宏)さん、福田さん、石田さん、吉川さん、水田さん、森田(徹男)さんはじめ頻繁にグランドに足を運ばれプレーの細かい指導を受けました。あの頃の先輩方のプレーとジャージの色は、はっきりと目に焼き付いております。


春から新たに京大の体育の先生として、日本代表のコーチをされていた小田さんがヘッドコーチとして来られ、ジャパン選手並みのウエイトトレーニングを指導いただき、春のシーズン中は皆で競い合ってバーベルを上げていました。おかげでプロテインに結構お金を費やしましたが、秋にはチーム全員がかなり筋力アップされたと思います。

 


ラグビーマガジン1984.8月号のシーズン開幕前の特集記事(協力:ラグビーマガジン )


ラグビーマガジン1984年8月号
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月刊ラガー1984.8月号のシーズン開幕前の特集記事 (協力:月刊ラガー)


月刊ラガー1984年8月号
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秋のシーズンを迎えるころ、我々はBリーグのチームの実力が判らない中で、他校はやたら「打倒京大」を掲げ、Bリーグにはオール大阪とか結構有名な選手もおり、リーグ戦が始まるまでは様々な情報が錯綜しておりました。

当時のBリーグは、京大、関大、関学、大阪市大、神戸、甲南、大教、京教。             


リーグ戦は1敗もする訳にはいかず、「絶対勝つぞ、1点も点を取られたらあかん、京大の格の違いを見せたれ」と檄を飛ばし、チーム全体が京大ラグビー部の誇りを持ってAリーグ復帰をめざし、試合に出る者もそうでない者も皆でリーグ戦を戦っていたと思います。

私自身は、夏合宿中の慶応との練習試合中の怪我の為 リーグ戦はほとんど出れませんでしたが、京大のリーグ戦での戦いは 圧倒的にフォワードで優勢に立ち、平均得点30点台、失点は一ケタ台と安定した試合運びで全勝で入れ替え戦に臨みました。


▼1984年度黒田組のシーズンダイジェスト映像はこちら


「12月9日に吉祥院グランドで学生リーグ入替戦が行われた。

Aリーグ8位の立命館大とBリーグ1位の京都大が対戦。

両チーム試合前から気合充分。ロッカールームでの部歌がバックスタンドにまで聞こえるほどだ(向井は既に泣いてました)。前半は21分に立命大宮地がPGでリード。京大も相手陣でのゲームが多かったが、立命大のタックルにあい、小さなパスミスが多くトライが奪えなかった。またプレスキッカー向井の不調で、17分26分30分32分34分と正面のPGを含め5回のキックが不成功で0‐3のままハーフタイム。しかし、試合後「今日の試合は外で見ているよりも、むしろ選手の方が我慢強かった」と京大・吉田監督が言うように、選手達はキックの不成功を気にせず、試合を押し気味に進めていった。リードされていても悪いムードは感じられない。そして後半開始早々立命大が反則。左45度の位置。決してやさしい位置ではなかったが、向井に蹴らせこれが成功し3‐3の同点。京大のムードは一気に盛り上がった。後半5分に左中間20mのモールから⑬‐⑫と継ぎ走力のあるCTB東が逆転トライ。さらに9分にも主将・黒田がトライ。30分にもサインプレーが決まり、ノーサイド寸前にはNo.8末がスクラムサイドを突くなど、つぎつぎにトライを奪い終わってみれば27-3の快勝でAリーグ復活を決めた。試合後、吉田監督は「いい試合をした、だけどこれで終わりとは違う。これから1年1年強くしていこやないか」と選手に新たな目標を持たせ最後は「今日はうまい酒を飲もう」の一言で締めくくった。」(月刊ラガー1985年2月号)


立命大との入れ替え戦。

月刊ラガー1985.2月号記事
Aリーグ復帰を伝える新聞記事。


スクラムの要の宮島の入れ替え戦二日前のヘルニア再発による欠場、向井の気合い空振りのプレスキックのおかげでヒヤヒヤさせられましたが、京大の伝統、大勢の先輩方の思いを背中に受けて、諸先輩方の活躍に比べ小さな目標でありましたが、1年でAリーグ復帰を果たせました。


大学4年間のラグビー生活は、良き先輩、後輩に恵まれ、やはり一番嬉しかったのは、良き同期、S60年卒:井口、池洲、石川、伊庭、加藤、末川、末吉、鈴木、垂、能村、宮島、向井、渡辺、高木(マネージャー) と苦楽を共に過ごせたことです。 


最後に、あの頃叱咤激励して頂いた 今は亡き大先輩方のご冥福をお祈りするとともに、改めて心から感謝申し上げます。


同志社大定期戦。インアウト:末吉(前から2番目)、宮島(前から3番目)、伊庭(前から5番目)
関西大学ベスト15の記事。Bリーグベスト15に京大から13名選出された。

以上

                             

追記


2回生の秋、S57年9月慶應との定期戦を終えて日野さん(プロップ1番)が倒れた。翌日の昼 大学の構内でクラブの先輩から日野さんの意識が未だ戻らないことを聞いて 目の前が真っ暗になりました。


灘高校二年の5月、同級生の友人(成川)が亡くなりました。

彼はラグビーの試合中に首にタックルを受けて 頭を強打しそのまま帰らぬ人になりました。

あの時 センターの私は走れず スローフォワード気味にパスしたボールを ウイングの彼は巧くキャッチし殆ど独走で走りきりましたが ゴール直前で倒れました。

私はバテバテで パスをしてから 最後までフォローできませんでした。

毎日一緒に通学していた仲間で、私がラグビー部に誘った友人だったので、

何故自分は生きているのだろうと相当悩みました。    

今でもフォローできなかった自分を不甲斐無く思い 自責の念にかられます。


あれから30年たったのですね。

ラグビーは 私を心身ともに強くしてくれました。

私の人生は 越えられない二人に 今も確かに支えられています。

「日野さん スクラム押さなくていい、バックスに任せろ。」

「成川行くな フォローしてるからパスをしろ、後は任せろ。」


S60年卒 黒田 武嗣 (京大ラグビー部90年史より再編集)


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