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024:「京大の健闘光る」と解説者/1978年 対同志社定期戦(関西Aリーグ戦)〈前半〉(映像協力:KBS京都)

最終更新: 5月5日

記憶/記録に残る試合を当事者が振り返りつつ、未来に残すコンテンツとして紹介する。今回は、1978年11月26日の同志社大学との定期戦をピックアップ。


当日のメンバー等は以下の通り(敬称略)

FW:真田、山中、高倉、願野、真継、阪本、清野、夏山

BK:石井、壇上(中桐)、白石、小松、吉岡、栗山、笠木

タッチジャッジ:衛藤

コーチ陣:岩前(故人)、福田、三好

解説:山口良治/アナウンサー:乾 一(KBS)

1978年11月26日/西京極球技場

京都大学フィフティーン
同志社大学フィフティーン

京大、同志社の両ラグビー部を育て、日本のラグビー全体にも大きな貢献をした星名秦(1928年卒)は1977年9月に亡くなった。直子夫人から故人の遺志として両校の定期戦に星名杯が贈られた。

その翌年、第56回の定期戦のテレビ映像が奇跡的に残っていた。KBS京都の許諾を得て100周年サイトに掲載する。

前半8分、同志社は、林(4番)→菅野(11番)とつなぎトライ(映像協力:KBS京都)



京大は77年にコーチ陣を一新した。監督の岩前博(1932年卒)は、3年連続全国制覇した星名の世代の後を継ぎ、日本初のカナダ遠征にも参加した名スクラムハーフだった。コーチは、細見進(1953年卒)をのぞいて、三好郁郎(1962年卒)、福田恒(1964年卒)のいずれも、星名から直接指導を受けた世代である。

一方、同志社の部長、岡仁詩は細見と同世代。戦後、満州から引き上げて同志社の教授になった星名から指導を受け、これも星名学校の卒業生であった。


77、78年、京大は夏合宿を岩手県の釜石で行った。当時、新日鉄釜石ラグビー部の副部長だった市口順亮(1964年卒)を頼ってのことである。釜石が初の全国制覇をした直後だった。のちに日本ラグビー協会長となる森重隆、日本代表の司令塔となった松尾雄治、松尾とともに78年度からの釜石V7の主力だった洞口孝治らがいた。

釜石合宿で力をつけた京大だったが、77年度のシーズンは最終戦の大経大戦に1点差で敗れ、あと一歩のところで大学選手権出場をのがしていた。同志社との定期戦は20対39の敗戦。今年こそは、の気概でむかえた78年の定期戦だった。

同志社もこの年、ニュージーランドからコーチを招いてFWを強化した。秋に慶応、明治を破り、全国制覇も狙えるチームに仕上がっていた。


前半11分頃、同志社陣に攻め込み、スクラムで押し込む京大(映像協力:KBS京都)



伝統の一戦は雨の中で迎えたが、京大の応援団も駆けつけ、終始声援をおくった。テレビの解説は日本ラグビー協会強化委員の山口良治。伏見工業のラグビー部を育て、ドラマ「スクールウォーズ」のモデルになった人物である。

解説:山口良治/アナウンサー:乾 一(KBS)

前半、何度か攻め込む場面もあったが、雨の中でボールが手につかず、大事なところでミスが出た。当時の皮のボールはただでさえつるつるしていて、濡れればさらに扱いにくかった。同志社は速いディフェンスで攻め返し、ハイパントで盛んに京大の背後をつく。前半戦は3トライを奪われて0体19。それでもアナウンサーの「同志社としてはこんなはずではなかったという気持ちがどこかにあるんじゃないかと思うんですけど」という問いに、山口は「今のところ互角ですね。非常にいいゲームなんで。(同志社は)もっと楽にできると思っていたんではないかと思いますね。これは京大のフォワードの健闘にあると思いますね」と評価した。


その健闘の原点はスクラムにあった。

雨でボールが滑る中、3トライを奪われるも互角の勝負が続く(映像協力:KBS京都)



↓1978年11月26日 京都大学VS同志社大学定期戦〈前半〉の映像はこちら

(映像協力:KBS京都)


(S55 真田 正明)

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