東大と京大のラグビー部は兄弟である。京都の三高出身の香山蕃は東大入学の翌年、1921年(大正10年)に東大にラグビー部をつくった。三高時代の親友、谷村敬介に京大にもラグビー部をつくるように勧め、早くも1922年1月10日に最初の試合をした(東大13-0京大)。どちらも大学当局や学友会に正式に認められたのは1922年だが、東大は1921年、京大は1922年を創立の年としている。長い定期戦の歴史の中には、学徒出陣直前の1943年10月19日、東大の部員がこっそり京都に遠征して行った試合(東大12―11京大)もある。
両校の定期戦の歴史や意義、現役や将来の部員に伝えたいことなどを、山田健司OB会長と青山和浩部長・監督に聞いた。
▼山田 健司 東大ラグビー部OB会長と青山和浩部長・監督の「100回目の定期戦」動画1はこちら(約13分)
――両校の定期戦の歴史について
山田健司OB会長(以下「山田」敬称略)「これまで100年の歴史の中で98回戦っている。1917年に開始された慶應・同志社定期戦(大学選手権等を除き102 回対戦)に次ぐ歴史を誇る。中止になったのは大正天皇の崩御と太平洋戦争、昨年のコロナの3回だけ。太平洋戦争中も、NHKのドラマになったように1943年に秘密裏にやった。やらなかったのは44年だけ。終戦直後の45年も12月に開催された。1942年に2回やっているので、98回になる。今年が99回目、来年は100回の記念すべき年だ。
アサヒスポーツ(昭和17年1月第2号)の表紙を飾った昭和16年(1941年)12月26日の京大対東大戦(神宮)。後半28分、東大陣30ヤードでCTB広海、東大のタックルを外して追走の高木にパス。
――この定期戦はどう特別なのか
山田「東大にとってはシーズン最後の試合。京大が強い時も苦戦したり、東大も対抗戦ではよかったのに京大には苦戦したりしている。最後の特別な試合という思いがあって、京大だけには負けたくないというエネルギーが出る。
青山和浩部長・監督(以下「青山」敬称略)「学生に対して言い続けている話は、最後の試合まで強くなろうということ。勝ち負け以上に、自分たちの力を最後に試せる。京大は条件がまったく同じ。4年生にとっては、4年間でどこまでできたかを同じ条件で試せる。そういう最高の舞台だと、学生に話している。自分の学生のころを思い出しても、京大との最終戦は格別。人生の中で思い出に残る試合、自分の4年間を語れる試合だ。
――東大、京大の現役や将来世代へ伝えたいことを
山田「東大も京大も、他の強豪校に比べれば体格も運動神経もそれほどない。歴史的にも私立大学より恵まれていたということはありえない。それでも毎年、毎試合ではないかもしれないが、極めていい試合ができて、たまには番狂わせもやってきた。その可能性がラグビーにはある」
「東大の場合はハードタックルだが、それができれば相手は止められる。15人いるわけだから、全員がすごい能力がなくても、お互いがカバーしながらできる。そこを追求してもらって、大番狂わせを起こすぐらいの気概でやってほしい。東大でもがんばればメディアに大きく取り上げてもらったこともある。昔はできたけど今はできないということではない。自分たちの努力次第だ。そういう試合を今年の定期戦でもやってほしい」
青山「シーズン最後の京大との試合を、深い意味で楽しんでほしい。楽しむためにはつらいこともきついこともあるが、出し切ってほしい。条件は同じなので、4年間どう過ごしてきたかの差しか出ない。勝つことで自信になるし、負けてもこれからの人生の糧になる。出し切らなくて悔いを残すと意味がない。出し切ったうえで自分を正確に認識してほしい。そうすると、その試合が自分の人生での思い出になる。それがあれば、心の支えにとして生きていける。学生には『絶対に負けるな。京都に負けると一生後悔する』と言っている。『毎年、会うたびに負けた勝ったと言われるんだから、何が何でも勝て』と必ず言う」
「全国の進学校のラグビー部員が京大、東大を目指してほしい。受験は難しいかもしれないが、ぜひ東大にチャレンジして、そこでラグビーをして、ライバル校の京大と4年間戦えるという歴史と価値を味わってほしい。卒業して交流を維持しながら豊かな人生を送ってほしい」
真田正明(1980年卒)
2021年11月1日ZOOMにて収録
取材:水田和彦(S50/FB)/夏山真也(S54/No.8)/白石良多(S54/WTB)/真田正明(S55/PR)/西尾仁志(H2/CTB)
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